面白い話

パチスロ青春日記Vol.4~新装開店編~

パチスロのほとんどが4号機に移り変わってきた94年。
3号機で生き残っているとしたらスープラがほとんどで裏モノ化した機種はほとんど消えていた。
それでもたまにガッツリと裏モノ3号機を入れて営業していて、警察の検査が入って1か月の営業停止処分をくらうお店なんて言うのも結構あった時代だ。

私の行きつけのTホール。
いつものようにスロットに座る。
ここのスロットは今この時点でも2号機ベンハーなのだ。
当時は一斉撤去みたいなこともあまりなく、今みたいにこの日までに強制撤去みたいなものも少なく、古いお店に行くとまだ1.5号機が設置されている店もあったほど。
2000年代になってからも新宿の有名スロット専門店にはまだスープラが置いてあって、打ちに行ったのも記憶している。
その店には2000年代になってもウィンクルが置いてあった。スープラとウィンクルを打ちまくった記憶がある。
その後、旧要件機はすべて撤去しなければいけないということになり、そのお店も最新台しかなくなってしまって寂しい思いをしたものだ。

Tホールのベンハーの前に座る。
このお店は高設定を入れる台は決まっていて、20台あるうちの6台のどれか2台って決まっている。
当時は台にここ数日間の出玉記録など表示できる機械なんてどこにも入っていない時代。
最新の店舗でカウンター横になんかLoppiみたいな機械で出玉グラフが確認できる店舗が出てきたような時代だ。
Tホールでは、カウンターのおばちゃんに聞くと、帳面に控えてあるボーナス回数を教えてもらえる。

おばちゃんに息子のようにかわいがられていた僕は、【おばちゃん帳面見せて!】と、3日分の出玉表を見せてもらう。
6台中2台だから、1/3。前日出た2台の除けば4台中2台。前々日の状況を加味すればほぼ確実にわかるのだ。

ただ、2号機くらいのスロットの場合、何というか機械各個に癖のようなものがあって、この台は設定が4でも、最初は吸い込んで、昼頃から吹き始めるとか、あの台はじりじりとメダルを増やすから長期戦とか、癖のようなものがあった。
店長はおそらくその癖を読んで、癖の面白そうな6台を中心に設定を入れていたんだと思う。

さて、今日の本命台に座って、とりあえずまわし始める。
この台は午後から吹き始める台だから午前はゆっくり回そう。ある程度まわしてやらないと出始めないけど、小遣いとの勝負だからな。。。なんて思ってサンドに1000円を投入。じゃらっとメダルが出てくる。

店長が珍しく朝から店に立っていて、僕の顔を見るたびに話しかけてくる。
【おい。この台食事中にして、ちょっと一緒に行ってこよう】

え?店長公認の食事中にするの?

タクシーが店前につく。乗せられ、店長と一緒にどこかに向かう?

【おっちゃんどこ行くの?】と、僕。

【いま、TYホールが警察の摘発受けてるらしいんだ。見に行こうぜ】と、店長。

なんだいそれww

タクシーで店の前に行くと、警察官がざっと100人ほど。大型店舗なのでそのくらいの人員が必要だったのかな。
なんかとんでもないことになってる。

当時はそれでもこのようなケースが頻繁にあって、毎月どこかが営業停止処分をくらっていた。
今回のTYホールは、裏モノ3号機が入っているということだった。
まあ、おそらく順番なんでしょうね。近隣店舗でもこの店だけが入れていたわけでもないので。。。見せしめ的な意味もあるのでしょう。

で、大体が1か月の営業停止処分になって、1か月後にリニューアルオープン、新装開店するという流れ。

当時の新装開店は、全てのスロットが高設定、パチンコは釘開け開けが当たり前の時代。
スロットならほとんどの台にモーニングを仕込み、CR機なら最初から確変状態。
現金機なら、天国モードとか、要はもう、お祭りです。

警察と一緒になってカンフル剤的な新装開店をするために摘発してもらってるんじゃないかというくらいの勢いだった。

さて話は変わりTホール。地元の駅前店は小さな小さな店舗だ。
今は無くなってしまって、小さなアパートになっている。
そのTホール実はチェーン店で、私が生まれる前はパチンコ店の横に映画館とボーリング場を併設する一大エンターテイメント施設を作る開発業者が運営する店舗だった。
お母さんと子供はボーリングや映画、お父さんはその間パチンコみたいな感じだったのかな。
車で10分~20分のところにもう2店舗あって、本店に当たるパチンコT店は、もともとボーリング場だった場所をパチンコ店に増床し使っていた。なので、ちょっとかたがっていたw
映画館は健在で結局4号機の終焉まで映画館とパチンコ店は残った。
自分が小さいとき、まだスロットはチョコにしか交換できなかった時代からある店舗で、親父によく連れられて行ったものだ。当時のパチンコは手打ちでビンビン飛ばすタイプだった。

もう1店舗は地元の中心商業地のど真ん中に立っていた店舗で、やはり昔はボーリング場が併設されていたそう。
私が行くようになった時代にはパチンコ店舗のみとなっていた。
現在はその場所にはメガネ販売店とセレモニー会場が立っている。
僕は本店はその時点でもよく行っていた。なぜならスロットがニイガタ電子のアラジンが入っていて、この地域でアラジンが入っている店はこの店しかなかった。
ちょっとトッポイお店だったのだ。
何となく魅惑の音と光で、怖い存在だった。パチンコ機もなかなかの名機ぞろいで、綱取り物語を2シマ入れている店はこの店だけだった。ほかにキング・クイーンは1シマずつ、たぬ吉くんは釘が緩かったので毎日満員という状態だった。
古い台も入っていて、平和のゼロタイガーかエアプレーンが入っていたのを覚えている。役物が飛行機だった。

当時はハネモノ全盛期で各メーカはこぞって面白い役物の台を出していた時代。

友人の根城だったB店もバラエティに富んだハネモノを入れていて、

このびんびんバラエティはよくうちに行っていた。
良くかかる代わりにパンクしやすくて、ロッカーが出てくるととりあえずすぐにVに入ってくれと祈ったものです。

Tホールの本店が、突如閉店するとのこと。
立て直して新規オープンするとのこと。約1年の閉店とのこと。
当時は雨後の筍のごとくぽんぽこパチンコ店ができていた時代で、既存店も立て直しリニューアルオープンが盛んな時期でもあった。

Tホール本店。
店舗は立て直し完了して、いよいよ台の導入。
行きつけTホールの店長から僕にアルバイトしないかと要請。
なにをするかって、パチンコ台の搬入だ。大した仕事ではないが力仕事だ。
この仕事のメリットは何の機種が導入されるのか誰よりも早くわかることと、新店舗に誰よりも先に足を踏み入れられる。間取りやレイアウトがわかるので当日並んだ時でも狙ったコーナーに一直線に走っていける。

報酬は、お前が希望する台にお前のたばこ置いてやるよといわれた。
今は違法なのかどうなのか、わからないが、もう時効だろう。と思う。。(20年以上前の話。)

それは二つ返事でOKする。

1週間ほど前に台を搬入。
スロットは聞いた通りの2台。
パチンコは。。。なるほど他ぬ吉くんは2シマか。
他のハネモノは今のところはないのか。なるほど。それにキング、クイーン綱取り。これは、旧店舗時代からの引継ぎだな。
それ以外では。。。今となっては覚えていないがツインズという権利モノがあった。

当時ニューギンの権利モノは、ツインズ、カーニバル、ツービートなど、ほとんど同じような作りのものが結構出回っていて、出てる人は出てた記憶がある。
これも選択肢だけど、小遣いが少ない僕は権利モノは敷居が高い機種だった。

僕の希望はスロット。スロットは2機種導入予定だった。
ユニバーサル系メーシーのイヴと、トロピカーナだった。
トロピカーナは発売されてから少し日がたっていてパチンコ・スロット雑誌で打ち方なんかは解説されていた。
また、初のBTypeということで、期待もされていて当時は人気機種だった。
チェリーバーで搭載した、ドラムフラッシュ機能などがついていて、話題の人気機種だ。
イヴXは出たばかりで、同じメーシーの機械でAタイプということでどんな性能かわからないが、魅惑の機種として誌上に掲載されるような機種だった。

BTypeとは、要はBIGのボーナスゲームが2回までの出玉が少ないタイプで、その代わりBIG確率が良くなる。要は当たりやすく出にくい機種で、それもあってBtypeといわれる機種は今まで登場してこなかった。
CTypeは、BIGボーナスがないタイプで過去にフルーツゲームのみの機種というのが登場しているがまったく人気にならず死んでいる状態だった。
まさか、このBtypeとCtypeがこの後大流行するとはこの時点では知る由もなかった。

僕が選んだのは、トロピカーナ。

初のBtypeにも興味があったし、出玉を抑えた分かかりやすいというのも僕の性に合っている。

設定1でも181分の1くらいのBIG確率で、Aタイプの設定6より優しい。
小遣いの少ない僕にとっては、ありがたい機種だと思った。

開店日。
一応カタチ上並んでくれと言われていたので並んだ。
お前のマイルドセブンに、あそこの飲み屋の紙マッチはさんでおいたから、それだぞといわれていた。
店に入ると角台にタバコが。気をきかせてくれたな。と。

新装当日は行きつけのTホールの店長も応援に来ていた。
担当コーナーはスロットだった。
まあ当時の新装開店は本当にお祭り状態で2時間開店とか4時間開店とか。
このお店はたしか、
1日目3時間開店
2日目3時間開店
3日目4時間開店
4日目4時間開店
5日目6時間開店
6日目6時間開店
7日目新台入れ替え&通常営業

みたいな新装ウィークだった気がする。

いただいた台で3時間勝負だ。
恐らくたったの3時間だからスロットはほとんどの台が設定6ってところで、パチンコもほとんど全開放だろう。
本当の新装開店だからここは締めることはない。

開店。
一斉にみんなが打ち始める。パチンコはチャッカ―に入らないと演出が出ないが、スロットは1回転目からドラムが回り何かしらの音が鳴る。
いきなりうるさい。
隣のおっちゃんがモーニングだったのかいきなりBIG。
おおいいなぁ。。。さすがに予約した台にまでモーニングなんて入ってないわなぁ
と思いつつ、ちょっと慌てずにゆっくり。1回転目を空まわしにして周りを見てみる。
となりどころかその隣もその隣もBIG。
背面のイヴも軒並みBIG。

僕の空まわしが止まる。あれ?一瞬光が横に流れたか?
トロピカーナはドラムフラッシュという、今やユニバ系のお家芸になった、フラグが立つとドラムランプが流れるように光る演出をチェリーバーで取り入れて、このトロピカーナに移植していた。

あら。俺の台もモーニングだ。
蓋を開けてみたら全台モーニングBIG。

新装開店の本気度が見える。

トロピカーナ自身はこの時は結構騒がれていたのだが後々大した台じゃないということでどんどん設置店を減らしていき最後は裏モノ化した。
出玉は少ないし、波は緩いし、一定量ハマってしまうともう取り返せない機種だった。なにせBtypeで出玉が少ないから。
確率の割にかからないし、むしろ確率通り過ぎて面白くないというか。波の緩い台だった。

モーニングでとりあえず1kでボーナスを引いたので少し安心して打てる。
3時間しかないのだからぶん回すしかない。
連荘したらハマってハマったら連荘してを繰り返し、2時間経過した時になんとか1箱というところだった。

ちょうど1箱3万円ほどになったのでスロット終了。何となく、もっさりしていてあと1時間でこれを倍にすることはできないと感じてしまったからだ。
残り1時間くらいになってくると、ロケットスタートをできなかった人から順に離脱していて、特にハネモノのたぬ吉くんはちらほらと空いていた。
友達がまだやってるから、その間時間つぶしにたぬ吉くんをやるかなと思って座ったら、やはり開店の釘だ。クローバーの2Rしか当たっていないのにボンボン球が増えていた。
そうしているうちにV当選。4連荘した時に閉店の音楽が。
結局4万弱の勝利で終えたのだが、まだ時間は18時くらいだった。
すぐそこに友人行きつけのB店があるのでちょっと寄ってくかってことで寄って行った。
人気店だったのと、隣の店舗が新装で入れなかった客がごった返している。

そこには人が座っていないチェリバーと、ごった返して通路も歩けないほど人が集まっている緑のカエルがいた。

パチスロ青春日記

パチスロ青春日記Vol.1~2号機編~
パチスロ青春日記Vol.1~2号機編~

Tホール。
Tホールに行くと店長が近寄ってくる。
おお来たのか~今日も打ってきや~と、景気の良い言葉をかけてくれる。

パチスロ青春日記Vol.2~モーニング編~
パチスロ青春日記Vol.2~モーニング編~

Tホール
当時は世のパチンコ屋さんは10時開店が普通だった。
ほとんどどの店も10時に開店。一斉にマイクアピール
【いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。はい。朝一フィーバー●●番台!おめでとうございます!モーニング無制限GETです】
といったような派手なマイクアピールがどんな大型店でも当然のようにやられていた時代。

パチスロ青春日記Vol.3~4号機冬の時代編~
パチスロ青春日記Vol.3~4号機冬の時代編~

スーパープラネットを打ち込みまくっていた僕。
たまに庭にしていない店に行ってもまずはスープラがあるかどうかを確認する日々だったが、スープラも時代とともに古くなってきて、設置台数も少なくなりつつあった。

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