面白い話

パチスロ青春日記Vol.5~土星とカエルとデカチリと~

土星を好んで打っていた私にはカエルはちょっと違和感しかなかった。
4号機になって登場したニューパルサーはスーパープラネットと入れ替わりで導入される店舗が多かった。

私にとっては好んで打っていたスープラがどんどんなくなっていき、カエルがホールを席巻し始めた。

スープラをよく打っていたパチンコ店Nも、2シマあったスープラが半分ニューパルになった。
翌月は1シマの半分もニューパルになって、半年後には2シマともニューパルになった。

4号機黎明期は、本当に何を打っても面白くない時代。
スープラがどんどん撤去されてニューパルに変わっていくので、最初のうちは仕方なくニューパルを打つ日が多かった。
ほとんどの場合パチンコで、パチンコに飽きたらニューパルっていう感じではあったが、逆にパチンコは最も荒くれの時代だからそうそうお金が続くものでもなかった。

ニューパルのリーチ目は山佐特有の伝統的なリーチ目。そしてそのリーチ目崩れが多かった。
基本はボーナス図柄のハサミライン。左ドラムと右ドラムにボーナス図柄がライン上で並ぶのが基本だ。
ただ、7やカエル図柄とBAR図柄がはさんでいればOKというわけではなく、その柄によって中ドラムの図柄がどこに何があるかによってリーチ目か否かが決まる。かなり複雑だった。
しかし、その特徴とルールをつかむと全部を覚えていなくても、あ・・コレ多分リーチ目だというのがわかるようになってくる。

僕の好きだった図柄は左上7中上7右下7。

これはビタ押しでしか出ないのだが、BIG確定リーチ目なのだ。
順押しでテンパイしたうえで右上段にビタ押しすると、滑って下段7なので、フラグが立っていてもREGに見えるのだがこれはBIGなのだ。大量リーチ目を作るためにリール制御が甘くなっているため出てくる目なのだ。
そもそもパルサーは、リーチ目発生時に、右下が7図柄の場合、かなりの確率でBIG成立しているのだ。
左上段もしくは下段にBARが止まったら右側は上段寄りに7を狙う。滑らず上段に7ならREG、滑って下段7ならBIG確定だった。

あとは、いわゆるゲチェナ。右側ドラムの下段に7が止まった形で、その7の直上にチェリーがついている7が止まればそれだけでボーナスフラグ成立だ。
ほとんどの場合は左側ドラムの上段か下段にボーナス図柄が止まるので見るからにリーチ目になるのだが、左ドラムの1~2か所、リール制御で左側にボーナス図柄が出現しない場所があって、そこで止めると、3ドラム目のみのゲチェナのリーチ目にお目にかかれる。3確目だ。

スープラがもう自分の周りで導入されている店舗がほとんどなかったのでこうやってパルサーを楽しむしかないと思っていた。

そんなとき、友人から情報が来る。
Nホールにまだスープラ入ってるらしいぞ?と。
スープラを初打ちしたKホールの近所の小さい店舗だ。
パチンコ3シマ、スロット1シマの超零細店舗だ。
パチンコは1シマに4種類、1列に2種類フィーバー機と2種類権利モノが並ぶ。当時、4号機がほとんどになった時代に、入っていたパチンコ機種はニューヨークだった。
ふた時代ほど古いのかな。
残りの2シマはハネモノとチューリップといわれる機械。当時は普通機とかチューリップといっていた。
スーパーコンビなどに使われているような、カイジの沼のような1/3でVに入るクルーンのようなものがあって、Vにはいったら盤面のチューリップが全部開くという仕様。
一発台は終了するまでチューリップが開きっぱなしだが、チューリップといわれる台は1回球が入ると閉じる。
仮に盤面全部開いたと言っても6個か7個かそんなところ。15発返しで考えると全部に入れたとして約100発。その間球を打っているので50~60発増えるといったところか。
そんな感じのパチンコなので200~300円で一回くらいVに入ったし、入ったらずるずるとかかっちゃ飲まれてを繰り返す。
時間つぶしにちょうどいい。

小箱(パンパンに詰めても2000円くらいしか入らない小さい箱)を一杯にしてタバコを1カートンもらうって感じの昔ながらのパチンコって感じで。おじいちゃんが良く座ってた。モヤ(外にある買取店で下取りしてもらうやつ)にするよりチョコやたばこに替えてるおじいちゃんが多かった。

そんなレトロな零細店だったが客は結構入っていて、おじいちゃんおばあちゃんが朝からチューリップで小箱にちょっと球を入れながらじりじり遊んでた。

そんなNに、まだスープラが入っていると聞いて飛んで行った。
はいっている。おまけに背面は2号機のアストロライナー。看板がかかっていて、来週新台入れ替え!ニューパルサー導入!アストロライナーお疲れさまでした
という看板がかかっていた。まだまだスープラは現役で居座りそうだな。

もちろんスープラに座る。
本当にほとんどどこにもスープラがなくなって来てた時なので、実は結構客がついていた。
私が行ったときは15台ほど入っていて空いていたのは2台。
あとは全部埋まってて稼働している。
そして、そこそこ出ていて1箱は当たり前、持ってる人は2箱、3箱と積んでいた。そもそもスープラってこんなに出る台だっけ?とおもっていた。

とりあえず空いている台に座る。
なかなかかからない。。。10k投入。
斜めプラネットぞろい。斜めプラネットは100%ボーナスフラグだ。

7がそろう。BIGだ。よかったよかった。とりあえず人心地がついた。

BIG終了。さーて。おもむろに打ち出す。
5G目チェリー付き7ハサミテンパイ。
おっ連荘だ。ラッキー。

BIG。終了し再度打ち始める
7G。斜めプラネット。ほー3連荘か。
4連荘目。10G。あれ、なんか?こんなことあるの?

5連荘目3G。

いや、これどう見てもへんでしょ?

きっちり一箱分、クレジットでかかった。

6回目のあたりは1箱分きっちり飲まれてラストクレジット50枚でHIT。
次は10連荘した。

連荘は5の倍数。出た分だけ飲まれて次のボーナス。15回BIGのREG0回。どう見てもおかしいな??

周りを見てみると、どれも似た感じ。REGはかかってて3回。BIG30回とかなのに。
このお店も、Tホールと同じでカウンターにBIG回数を帳面で控えてあって誰でも見ることができる。
スープラのボーナス表を見るとどの台も5の倍数になっている。

これはやっぱりおかしいな???

結局3箱(約7万円ほど)をジェットに流して家に帰る。
古いパチスロ雑誌をひっくり返して、スープラについて調べてみる。
当時はインターネットもない時代。もちろんPCなんて誰も持ってない時代だし、ネット通信でスロットのことを会話してるやつもいない時代。

雑誌をひっくり返していくと。。。あった。たぶんこれだ。

スーパープラネットの裏モノが確認されました!スープラ大阪Verを打ってきました。
という記事があった。

5連荘1セット。REGカットして貯金。解放時にBIGに変換。
フルーツゲームもほとんど入らない仕様

そう言われたらフルーツが全然そろわなかったな。。。

逆にそれがわかったらわかったで、裏スープラを打ちたくなるのが人間の性。ほどなく毎日通うようになった。

しかし、お店も商売だから、連勝街道をまっしぐらというわけにはいかない。出ない時はとことん出ない。
おまけに、わかってて打ちに来ている人が多いから、リーチ目でやめていくことなんてほとんどない。
また、5連荘1セットってわかりやすいから、3連荘目4連荘目で即やめなんて人も滅多にいない。
だから、たまにしか勝てなかった。でも面白かった。

緩い波のリーチ目大量機だと思っていたのが、往年の裏モノ3号機みたいな出方をするんだからたまらない。
裏モノ化してもリーチ目が外れるなんて言うあからさまなことはなかったので、見た目はスープラ通りで性能は裏モノなんだからそりゃおもしろい。

しかししかし、やっぱり裏モノを入れている負い目もあったのか、ほどなくして土星のシマもカエルに占拠されてしまった。

話はニューパルに戻る。

私の家から車で20分くらいのところに地元の行きつけ店Kの郊外店がある。
そこが新台入れ替えでニューパルサーを入れるという。
よし、これは行っておかなきゃいかんなと。

じつは、4号機になってから、ほとんどのホールでモーニングがなくなった。
業界の自主規制もあったのだが、根本的な理由はフラグ告知にあった。
4号機から、音と光でフラグ成立を告知することが許されることになり、さっそくこの後悪名高くなっていく大東音響が出した4-1号機のザンガスに音でフラグを告知する機能が付与された。
ベコン、ベコンと、大音量でフラグ成立を示してくれる。さすが大東音響。音響にはこだわってました。
このザンガスは告知が100%だったので、仮にモーニングでフラグを仕込むと、朝からけたたましく音が鳴る。ここはモーニングが仕込まれてる台ですと教えることになってしまう。
これではサービスなんて提供できない。
その後は、裏モノ化して、裏モノといっても基本性能をいじるのではなく、この告知をモーニングを仕込んだときは何回転かしてから告知するような改造をした機種などを登場させていたがもはやモーニングを仕込むことがなくなっていっていた。

同じことはジャグラーにも言え、モーニングを入れてしまうと最初からGOGOランプが光っているのでモーニングがモーニングじゃなくなってしまう。こういうこともあってモーニングセットはホールから消え、夜中にホールスタッフがフラグを建てるための打ち込みするということもなくなった。
モーニングは昔は打ち込み機という機械で、ボーナスフラグが立つまで自動的に打ち込む機械というのがあったらしい。フラグが立つまでというより全部の台を100回まわすなどすれば、それはいくつかの台がフラグ成立するというものだったのかもしれない。
しかし、時代の流れとともに打ち込み機が禁止となって、それでもモーニングを仕込むホールは閉店後ホールスタッフがフラグ成立するまで打ち込むという夜なべがいろんな店舗で見れるようになった。
夜中の3時でも店内に電気がついている店は大概そうだった。また、前日最終の最終図柄を確認しておくことでその後廻された台がどれかわかるというリバースエンジニアリング打法などが出てきて、店舗は全台1回転はさせるとか、朝は全台777になっているとか、いろんな対策をしていた。

新台入れかえでも、ほとんどの場合モーニングを仕込んであることがなくなった時代。
そのため行列も昔ほど長くはならない時代。
このKの新台はちょうど満席になる程度の行列だったのでしっかり座れた。

スタート。軍艦マーチがなる。
ニューパルサーはフラグ判別ができて、1枚掛け中押しでカエルを狙う。
BIGが成立していればまずカエルが止まり、右側にカエルを狙ってカエルがリーチすればBIG確定する。
REGが成立しているときは中段カエルで、右側のカエルを狙うとBARが滑ってくる。カエル・カエル・BARでレギュラーだったのだ。
新台入れ替え1回転目。一応1枚掛けでモーニング判別してみる。まあ、仕込んでないと思うけど。ピタッと。カエルが止まる。
フラグが立っていなくても中段は止まるので大して慌てない。

問題は右だ。まあ、止まることはないだろうけど、一応押してみる。ピタッとカエルが止まった。ありゃ。入ってるわ~
1枚掛けはたしかBIGが1/1000ほどだからこの回転でフラグが立ったとは思えない。もちろんまぐれもあるが。。。

周りを見てみると20台ほど入ったニューパルのシマで5台ほどパトランプが回ってる。
こりゃモーニング仕込んだな。

パルサーは告知機ではないのでモーニングは入れようと思ったらいれられる。
ただ、打ち込み機は禁止されているのでおそらく昨日、台設置した後にスタッフが打ち込んだんだろうな。
全台100回転ずつ程やったのかな。ウェイトが4秒だから、最速ぶん回しで1台400秒。20台あるから8000秒。1日は86400秒だから1日の約1/10ってことは1人なら2時間、2人なら1時間ってところか。。。
こりゃお疲れ様です。。。

モーニングにより最小ロス1kでHITして気を良くした僕。
その後も半分のまれちゃボーナスみたいな感じだった。
当時は新台入れ替えもホール営業時間が短縮されることが多く、この日は4時間開店営業だった。
4時間で1箱きっちり。約2万円の出玉だった。パルサーだからまあこんなもんだろう。

面白くもつまらなくもないニューパルだったが、その中性的な、良くも悪くもないというのがむしろホールでは安定して稼働することにつながり、北斗の拳が登場するまでに約20万台の導入という記録を作った。

北斗の拳は4号機の後期で大爆裂機時代の大人気機種だ。
ニューパルはそんな爆裂機時代を迎えるまで約10年以上、店舗には設置されていてそして、稼働しているとんでもないバケモノだ。

不遇の4号機時代を全部見て来た機種であろう。

このパルサーは4-1号機で、山佐の4号機第1号だ。
93年発売だから本当の4号機初期時代だ。

このあと数年してユニバーサルから発表された4号機中期の名機クランキーコンドルが登場する。もちろんそれまでもニューパルは4号機1番人気機種だ。

恐らくだがもともとは大きくニューパルサーを意識して作られたのだろうと思われ、要はリール制御を少し緩くして、大量のリーチ目が発生する機械だった。
この緩いリール制御がこのクランキーコンドルを一躍大人気機種へと押し上げた。それは技術介入だ。
元々スロットはパチンコと違ってフラグが立っても勝手にそろわない。該当する図柄をタイミングを見計らってストップボタンで止めないとそろわない役があるのだ。BIGやREGなどがそうである。(4号機時代まではかくじつにそうだった。5号機からはそもそも見た目の図柄がそろっていなくても当選する機種も出てきている。)その時点でパチンコよりも打ち手の能力がないといけないのがスロットだった。
そしてこのクランキーはその目押し技術を極限まで高めた人が勝てる機種だった。

恐らく製作段階で織り込んだわけではないのだろうが、リプレイ外しという技術がクランキーコンドルで初めてお目見えした。

これは、BIGに当選した際のボーナスゲーム中、JACインとJACインの間のフルーツゲームをぎりぎりまで使ってフルーツを当選させBIG時の獲得枚数を増やす技術だ。
このクランキーが初出ではないかと思う。この先はリプレイ外しを織り込んだ機種が大量に出てきて、その代表格はフルーツゲームを利用して大量にメダルを獲得できるように作った大花火だろう。
今はそのリプレイ外しが生み出されたときの話だ。
クランキーコンドルはまずリール制御の甘さから、JACインゲームを外してフルーツゲームを続けることができることが発覚し、BIGの平均獲得枚数を引き上げることができる。
それプラス、スープラで行われたDDT打法(要は通常中のゲームもしっかり目押しして子役の取りこぼしを防ぐ打ち方)の2段構えで、設定1でも確実にプラスに導けるという台だった。
当時は目押しは7が押せればそれでよしという時代だからそこまで目押しが完ぺきな人間もいない時代でというかそれ以上目押しがうまくなってもうまみがなかった。

いやしかし、中にはいたものだ。今でいうビダ押しがちゃんとできる人間というのは。当時は0すべりなんて言ってたな。
なぜなら、1.5号機のファイアーバードという機種が技術介入で同じようなJACイン外しができて、成功すれば一撃600枚ほど抜けた。当時はリプレイ役はないのだが、やってる内容を考えると元祖リプレイ外しがファイアーバードだ。
ファイアーバードはこれまたクランキーと同じユニバーサル系ということで、やっぱり時代はユニバが作るんだなと思ったものだ。

そんなクランキーコンドルだが、確かに高いスキルを要求されるのでほとんど一般の人はそこまで完璧に打ち込むことはできなかっただろう。この時代クランキーでスロプロになったという人がたくさん出た時代だがそれでも全体のパイから見たらほんの一部。
私が通っていたNもクランキーがひとシマあったが1/3ほどがどう見てもプロっぽい人間が朝から晩まで打ち込んでいた。

しかし、他の7割は一般客で、通常時はオヤジ打ち、ボーナス時だけリプレイ外しとか、完璧まで行かないDDTでずるずる楽しんでいるような人が多かったので、設定1でも機械割100%越えといっても、慌ててホールが撤去するようなこともなかった。むしろやってみ?くらいの勢いでクランキーに設定を入れたりしてホールも煽っていたような時代だった気がする。
なぜなら、パルサーは老若男女に人気で打っている人も多かったがひところの時代から見たらやはりスロット全体は沈んでいるときで、下手をしたら完全にスロットコーナーが死んでいるホールもあったほどだ。
そんなときに目の色を変えて打ち込みに来るクランキープロ、それに群がる一般客はホールにとってどれだけありがたかったかわからない。

さて、このクランキーでスロットに一筋の光が見えたころユニバ系はまた新たな名機を産み出す。

サンダー・バーサス・ハナビだ。
まず、3連Vや三連ドンちゃんというBIG図柄が三連続という異質のリール配置に唖然とした。
こんなの来ることがあるのか?と思わせるリール配置だ。
もちろん来る。それはフラグが立った時だ。ようは1確目という、1リール目を推した時点で確定リーチ目ということだ。
フラグが立ったことがわかったら三連ドンちゃんをよく目押ししたものだ。

この3兄弟は、クランキーの成功を経て、メーカー側が制御しながら技術介入度を高めた機種だ。
難しいがリプレイ外し通常時も取りこぼす子役をあえて作り、スロット技術の高い人ほど勝てる可能性を示せるように作った機種だ。
これがのちの大花火につながっていく。

この時代。ユニバ系のスロットにスロットコーナーは席巻されつつあったが、それでもホールはニューパルを外さない。
なぜなら毎日ニューパルを打ちに来る客が必ずどのホールにも一定数いたからだ。
無くならない限り来てくれるお客さんというのも大事だ。
山佐が新機種を作ってニューパルと入れ替えてくれとどれだけ営業しても、入れ替えてもらえなかったという逸話があるくらい。
このニューパルのシマが、とってかわったときに入ったのがニューパルサーRやTだった(ほとんど何も変わっておらずおそらく基盤も同じで、筐体や弱かったボタンを変えただけの機種)というから当時の人気は計り知れない。
それでも、若者や玄人はユニバ系の技術介入機に流れつつあった。

僕はそんな時代になってもニューパルのシマに張り付いていた。

なぜなら1つに、僕の行きつけのNは、ニューパルのシマはダシゴロコーナーというコーナー命になっていて【だ4・5・6】設定だと毎日ホールでマイクアピールされていた。
当時、ユニバの3兄弟で設定判別が可能ということであらゆる機種の設定判別方法が雑誌などに掲載されていた。
これは、ベルなどの子役確率も当時は設定によって違っていたので○回転まわした後にクレジットの残数が●枚以上なら3以上みたいな判別が流行った。
ニューパルサーも設定判別が可能な機種だった。

本当に4・5・6かよと、良く試していたが、5,6をお目にかかることはほとんどなかったが(それでもたまにあった)大概3以上示唆していたので、悪くない設定が入っていたと思う。
それでも緩い機種だったから目立たなかったのでそれでもほとんど人はいなかった。

高設定を黙っていても打てるのだからそりゃ行く。

つぎに、クランキーはニューパルサーを見て作り上げた機種といわれている。それはリール制御が基本で、ニューパルサーもリール制御を少し甘く作ることで大量のリーチ目を増産している。
これは逆に言えば、打ち所が悪ければ子役を取りこぼすことにつながる。
なので、スープラ同様DDT打法(地引網打法)が通用する機種だ。
おっちゃん、おばちゃんが多い機種だったから打っている人の90%はほとんどオヤジ打ち、多少若めの人が来たとしても、チェリーくらいは狙う程度の打ち方だ。
ここはしっかりDDT打法で子役を取りこぼさないように打つだけでも、設定が4・5・6なら安定して勝てる。

おまけに非常に高度で、クランキーより難しいとされていたけど、リプレイ外しも可能だった。
本当に難しいのとこの時点でそれだけのスキルがある人はクランキーに走っていたので誰もやらない。
だからこそのせってい4・5・6なのだ。

僕はだからこそ好んで打っていた。
僕の後輩と毎日並んで打っていた。
大きく勝つこともないが負けることもない。
若い人間が一人食う分くらいは稼げたものだ。

そしてここからは4号機激動の時代に突入する。
まずは大量獲得機の登場だ。
代表格は大花火。
MAX711枚獲得できるという機種で、リプレイ外しが必須の機種となった。
BIGの当選確率はいわゆるパルサーなどのA400(400枚前後の獲得枚数)と違って設定5でも1/290ほど。(6はプレミアムで1/240。まず通常営業で入れることはなかっただろう。ハナビの設定5は1/244設定6は1/240)
掛かりにくい代わりに、かかったら500枚~600枚をざらに獲得できる機種だった。
これは、JACイン間のフルーツゲームで獲得できる子役を15枚役にしたこと。それプラスゲーム性として標準的にリプレイ外しを導入したことで、リプレイ外しをしっかりやったうえで完走させられれば500~600枚は普通に獲れて、ぎりぎりまで頑張って完走させられれば711枚獲得できるという機種だった。

実際このスペックだから、イベントでもし設定6を入れれば万枚も見える。
平均して600枚の獲得で100枚ほど打ち込んだらBIGみたいな感じで動けばたった20回のBIGで万枚だ。REGもあるので実際にこのくらいのペースで万枚という台が続々現れたのだ。

大量獲得機という概念を打ち出して、ほかのメーカーも大量獲得機開発に向かおうとした刹那に、ユニバーサル系はその真逆を行くような機種を登場させる。
アステカだ。

アステカはBタイプという機種で、JACゲームが2回しかないタイプだ。そう。トロピカーナであったBタイプだ。
マイルドすぎて面白くないと評判のトロピカーナと同じBタイプだ。
ただし、違いがある。この時代にはリプレイ外しという考えがあったうえでCTという機能が搭載されていた。
トロピカーナのボーナスは多くて270枚ほどの獲得枚数だったがアステカは多い時は400枚近く獲れた。平均すると300枚オーバーというところだろうか。
ノーマルタイプのスロットのBIGで360枚前後だった時代だから、Bタイプにしては多い。ボーナス2回タイプでREGがないわけだから、その分ボーナス当選確率はAタイプより高い。実際アステカは設定1は1/315と、極悪設定だが、設定6は1/180と、200分の1すら切ってくる。ちなみにフル攻略で設定1でも機械割100%越えすると言われていた機種だ。

CTとは、チャレンジタイムということでアステカについては1/2で突入する。
200枚の純増か150G消化で終了というボーナス後のゲームだ。昔のベンハーのフルーツラッシュに近い。
ただ2号機のフルーツの集中には150Gで終了という概念がなく、おまけに子役を外すという考えもあまりなくこの時代のようなリールの甘さがないため、早々と200枚獲得して終了するというのがベンハーのフルーツだった。
いや、今にして思えばどこかのリール位置をビタ押ししたら子役がはずせて永遠にフルーツゲームでメダルを減らさずに次のボーナスまでいけるという攻略法があったのかもしれない。しかし当時はそういう考えをもって攻略に挑む人もいなかったと思う。

アステカはCTで190枚ほど獲得したらそれ以降は子役を外す。180枚くらいまで獲得枚数が減ったら一回子役を当てて190枚前後にする。
これを繰り返すことでメダルを減らさず150G回せるのだ。当時パチンコで出回っていた現金機の次のゲームまで時短という爆裂機と同じだ。当選確率は変わらないがメダルを減らさずに回転させる区間があるのだ。
これは、CTではなくなってRTやARTへと進化し、5号機にもつながっていく。
アステカはボーナス確率が1/200前後の機種だから150G回していたらかなりの確率でボーナス成立の可能性が出てくる。
CT中は太陽マークみたいなのが光っていてけたたましい音楽がなっているのだがボーナスフラグ成立ゲームのリールを全部ストップした時点でランプと音がフッと消えるこれがまたたまらないのだ。

私の行きつけのN店には大花火とアステカが導入されていた。
大花火のシマはいつも一杯でなかなか座れない。アステカは大量獲得機に目が奪われている時代だったので比較的すわれた。
今でも忘れもしない。N店の50番台のアステカ。おそらくずっと設定が据え置きで4だったと思われるのだが、なにせずっと設定を変えないっぽかった。
あるとき僕が19時くらいに2箱出した。
用事があって帰りたいのだがここまでの出方を見ると明らかに高設定。もったいないなと思って、弟を呼びだした。
実はスロットをしたことがない。

弟に、とりあえず、ここのランプが光ったら7がそろうからがんばれ。そして、揃えられなかったら店員を呼べ揃えてくれるから。
そして、BIGの後この太陽マークが光ったらCTってやつに入るから180枚くらい獲得したらとりあえず青7を狙え。そして、170枚まで下がったらまた子役を当てろ。これを続けて147Gくらいになったら揃えて200枚超せ。これの繰り返しでいいから。勝てるから。と、1万円渡して僕は用事を済ませに行った。

それでも気になって気になって仕方がないので早々と用事を済ませて見に行ったら2箱持ってた。
おおすごいじゃんちゃんとできた?
と聞くと、たまに間違って200枚超したりしたけど、ポンポンボーナスがかかるからそれでもここまでいけたわ。
青7は何とか押せるから大丈夫だった。と。そりゃよかったなと。兄弟で各々5万ずつ程勝って今日は家路につく。次の日、日曜日。昨日あの台で結局10万出してるからなぁ、今日はどうなるだろうなんて家で考えていたら弟がいない。まさか?とおもってNに行くと50番台に座ってた。
おいおい、パチンコと違ってスロットは設定があるからな、昨日でた台が今日も出るってことってあんまりないんだぞ、昨日の勝ち分全部献上しないように気を付けなよと一応先輩らしいアドバイス。
まだ全然わかってない弟が心配だから51番台にとりあえず座る。
だいたい、前日でた台のとなりなんて結構本命でもあり、一番ダメでもあり。そう思っているうちに2000円ほどでボーナスそしてCT。ボーナスからのCTを一発目に引くと本当に楽だ。500枚近いメダルがあるのでちょっと楽できる。
そう思っていたら弟の50番台もボーナスからのCT。兄弟して楽だ。
結局この日は51番台で僕が3万ほど、弟は3箱近く出して7万ほどの勝利だ。
あれ、据え置きだったのかな?

平日になって、仕事帰りにちょこちょこ顔を出すNてん。アステカのシマをチェックすると結構な頻度で50番台がいつも出てる。てか、出てない日は単に座られていない日の気もしていた。
また、Bタイプなので大体みんな1箱出たら1回分飲まれたら止めるパターンが多かったので1人が大きく箱を積むってことはあまりなさそうだった。だからばれてない。
当時は台の上部で出玉グラフなど見れる時代ではないので積んである箱が無ければ出たかどうかなんてわからない時代。
ピックアップして注視してみていないとわからないのだ。

なんか設定がずっと据え置きで高設定な気がすると感じた私は弟にも有休をとらせ自分も有休。そして、50番台を朝から打つと。
実はもう1台同じように気になっている台があった37番台。
弟には37番台を打ってもらう。
お昼頃、気付いたら二人とも1箱持っていた。こりゃほぼ間違いないな。高設定据え置きっていうかずっと放置だわ。
あとはお店側がいつも俺ら兄弟が座ってると気付かれたら設定を打ち変えられるからどうごまかしながらやるか考えることにした。

弟の幼馴染2人と僕の友人1人、僕たち兄弟を合わせて5人で体勢を組んで半日ごとに交代して打つことにした。
だいたい平均すると1箱程度で交代、1日2人で回って37番もカバーしながら打っていくことにした。
1か月くらい設定はそのままだったようで結局その1か月で5人で毎日10万程度勝っていた。
まあ1人あたりにすると1か月で50万前後だからすごく大きく稼いだわけではないが確実に稼がせてもらった。

そんなとき、自分の番じゃない時は裏のニューパルサーを打っていた。
ダシゴロ設定だし技術介入でまず負けなかった。

もはやニューパルサーは、このホールの長老で、酸いも甘いも見て来た台なのだ。

パチスロ青春日記

パチスロ青春日記Vol.1~2号機編~
パチスロ青春日記Vol.1~2号機編~

Tホール。
Tホールに行くと店長が近寄ってくる。
おお来たのか~今日も打ってきや~と、景気の良い言葉をかけてくれる。

パチスロ青春日記Vol.2~モーニング編~
パチスロ青春日記Vol.2~モーニング編~

Tホール
当時は世のパチンコ屋さんは10時開店が普通だった。
ほとんどどの店も10時に開店。一斉にマイクアピール
【いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。はい。朝一フィーバー●●番台!おめでとうございます!モーニング無制限GETです】
といったような派手なマイクアピールがどんな大型店でも当然のようにやられていた時代。

パチスロ青春日記Vol.3~4号機冬の時代編~
パチスロ青春日記Vol.3~4号機冬の時代編~

スーパープラネットを打ち込みまくっていた僕。
たまに庭にしていない店に行ってもまずはスープラがあるかどうかを確認する日々だったが、スープラも時代とともに古くなってきて、設置台数も少なくなりつつあった。

パチスロ青春日記Vol.4~新装開店編~
パチスロ青春日記Vol.4~新装開店編~

パチスロのほとんどが4号機に移り変わってきた94年。
3号機で生き残っているとしたらスープラがほとんどで裏モノ化した機種はほとんど消えていた。
それでもたまにガッツリと裏モノ3号機を入れて営業していて、警察の検査が入って1か月の営業停止処分をくらうお店なんて言うのも結構あった時代だ。

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