パチスロ青春日記Vol.13~5号機から6号機へ編~
行きつけのC店。
行きつけのC店。
押忍番長。 暇があれば座っていた。
郊外大型店TYホール。 あまり行かないホールなのだが、弟がここの土曜日のサービスがすごいというので一緒に行った。
キンパルの登場でバラエティに富んだスロットラインナップとなっているパチスロ。
世の中は大爆裂機時代 パチンコは96年に確変5回リミッター規制という、要は確変連荘は5回までという強烈な規制のため真冬の時代が訪れた。
行きつけのN。 1回交換イベントでトリプルライダーALL設定5祭をよくやっていた。
Nホール。 僕は現金機のギンギラパラダイスをよく打っていた。
Nホール。 行きつけだったTホールは閉店してしまい。店長は新装した本店のTホールの店長をしている。 たまに顔を出しては出ないイヴを打ってはたぬ吉くんに。
土星を好んで打っていた私にはカエルはちょっと違和感しかなかった。 4号機になって登場したニューパルサーはスーパープラネットと入れ替わりで導入される店舗が多かった。
パチスロのほとんどが4号機に移り変わってきた94年。 3号機で生き残っているとしたらスープラがほとんどで裏モノ化した機種はほとんど消えていた。 それでもたまにガッツリと裏モノ3号機を入れて営業していて、警察の検査が入って...
スーパープラネットを打ち込みまくっていた僕。 たまに庭にしていない店に行ってもまずはスープラがあるかどうかを確認する日々だったが、スープラも時代とともに古くなってきて、設置台数も少なくなりつつあった。
Tホール 当時は世のパチンコ屋さんは10時開店が普通だった。 ほとんどどの店も10時に開店。一斉にマイクアピール 【いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。はい。朝一フィーバー●●番台!おめでとうございます...
Tホール。 Tホールに行くと店長が近寄ってくる。 おお来たのか~今日も打ってきや~と、景気の良い言葉をかけてくれる。