Nホール。
僕は現金機のギンギラパラダイスをよく打っていた。
液晶下部、チャッカ―上部には、簡単な役物があって、ストローのような細いパイプが何本も敷き詰められそれを使って波を再現したような役物なのだがこれが良くチャッカ―に球を入れてくれる。
回転数が良かったのでよく打っていた。
小遣いが少ない時は小籠包という一般電役を打っていた。
こちらは1/170ということでよくかかるのと、一般電役なので大当たり中にでも再度ドラムがそろえばそこからまた大当たりスタートとなる。
うまくはまれば5連荘なんてよくあった。
すっかりパチンココーナーの住人になっていたころ、スロットコーナーも熱気を帯びてきていた。
たまにひとシマ満員の時もあるほどだ。
大量獲得機の登場だ。
大花火は、MAX711枚獲得できるという機種で、技術介入度も高く、というか技術介入しないと勝てない機種だった。
リプレイ外しは必須。すでにメーカーは織り込み済みで開発をした第1号機といえるほどの機種だろう。
何もしなければA400タイプといわれる約400枚前後の獲得になるが、ちゃんとリプレイ外しをしていけば平均で550~600枚は取れる機種だ。
たまにそろってしまう三連ドンちゃんでリプレイ外しを行う方法と、ビタ押し必須だがHANABI図柄ではずす方法と2つあって、ビダ押し外しなら平均で600枚は取れるという機種だった。
1回のBIGで1万円以上獲得できる機種ということでたちまち大人気になった。
大花火の登場で確実にスロット人口が戻り、若者がこぞってオオハナを打ちに行くようになった。
そして続けざまにアルゼは真逆を行く小獲得機を世に送り出す。
アステカだ。
CTという、ボーナス後に子役で一定数以上のメダルを獲得(もしくは一定ゲーム数を消化する)まで続く集中役搭載のBタイプだ。
Bタイプといえば数年前にトロピカーナでオオコケしたのもアルゼ(当時はユニバーサル)だ。
Bタイプの夢をまだ追っていたのだなと感心した。
しかしこのアステカは本当に秀逸な機械でよくできていた。
一撃大量獲得か、小獲得だけどポコポコ当たるか。アルゼの2機種で好みに合わせて打てた。
いよいよ4号機に人気の火がつき始めたのだった。
パチスロ青春日記
Tホール
当時は世のパチンコ屋さんは10時開店が普通だった。
ほとんどどの店も10時に開店。一斉にマイクアピール
【いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。はい。朝一フィーバー●●番台!おめでとうございます!モーニング無制限GETです】
といったような派手なマイクアピールがどんな大型店でも当然のようにやられていた時代。
スーパープラネットを打ち込みまくっていた僕。
たまに庭にしていない店に行ってもまずはスープラがあるかどうかを確認する日々だったが、スープラも時代とともに古くなってきて、設置台数も少なくなりつつあった。
パチスロのほとんどが4号機に移り変わってきた94年。
3号機で生き残っているとしたらスープラがほとんどで裏モノ化した機種はほとんど消えていた。
それでもたまにガッツリと裏モノ3号機を入れて営業していて、警察の検査が入って1か月の営業停止処分をくらうお店なんて言うのも結構あった時代だ。
土星を好んで打っていた私にはカエルはちょっと違和感しかなかった。
4号機になって登場したニューパルサーはスーパープラネットと入れ替わりで導入される店舗が多かった。
Nホール。
行きつけだったTホールは閉店してしまい。店長は新装した本店のTホールの店長をしている。
たまに顔を出しては出ないイヴを打ってはたぬ吉くんに。