面白い話

パチスロ青春日記Vol.12~5号機初頭編~

押忍番長。
暇があれば座っていた。

まずほとんど負けなかった。

相性がいいというのはあったのだと思うが、なにせ、350~500Gあたりで、引ける台を見つけるのが上手かった気がしている。
一番よく捨ててある回転数で、パッと見は良くない台だ。
そんな中からここで500G以内で引ければいい方向に行きそうという台を見つけることができた。
なにがそうさせていたのかわからないが、なにせ負けなかった。

行きつけのC

この店の番長はほかの店より出していた気がする。
2シマ入っていた大体万枚は4台ほど。5万~10万勝ちの台が島の1/3ほどあった気がする。

僕は先ほどのように350~500Gで捨ててある台を見つけては、吹きそうな台に座っていた。
万枚クラスの大勝もあまりなかったが、3~5万ほどの勝ちというのを繰り返していた。

あるとき、Cが、1週間休業するとのこと。
模様替えリニューアルオープンをするとのこと。

ちなみにこの時、4号機の設置があと1か月で終了という時に迫ってきており、どの店もありがとう4号機みたいなイベントで最後のひと花を咲かせようと躍起になっていた。

1週間、僕はほかのホールへ浮気もせず待った。
Cのリニューアルで番長狙いをするつもりだ。

開店初日。

そもそも客が通常通りしか来ていないw
中途半端なリニューアルなんてするからだよ。なんて思いながら番長のコーナーに行ってみる
えっまじか。。。2シマだったのが3シマになってやがるw
Cはチェーン店のため、他の店舗ではずした番長を持ってきたのかもしれない。
3シマも入ってるんなら気合も入ってるんだろとおもって打ってみる。
やっぱりさすがに新装だから設定も入れてたんじゃないだろうか。打つ台打つ台チェリーで解除する。
BIGに入ればガキーンからの1G連。
ただ、大きくは勝てない。
1台あたり半箱ほどで熱いゾーンを抜ける。
いまいちだなぁと思いながら閉店までに1回ジェットに流していた。10万ほどあった。
2日目。
初日みたいな感じなら楽しめるしいいよなと思って番長のシマへ。やっぱりあまり人がいない。
スロットを打つ人たちは最新台の5号機に行ってるようだ。
まだ細かい要件もわかってなかったので、ちょっと5号機はまだ打てないなとおもって自分は4号機、番長のシマへ。
どっちにしても後1か月で撤去だしね。思う存分ストック機を楽しもうと。

そうすると、そこにいた後輩から呼び止められる。
この第3箱出したんだけど、僕もうどうしても出なきゃいけなくて、あとやります?
と。
3箱出して、ゾーンも抜けてる。。。うーんどうするかな。。。
でも自分が今やってる代もそろそろ席を立つ方がいい感じのハマリだし。。。
そうやな。やらせてもらうわ。と。移る。
後がんばってくださいと、オロナミンC置いて帰ってった。
ハマったら飯おごってもらおうなんて思いながら打つと5000円でチェリー解除。
おおラッキー。ハマる前に解除してくれてよかったこれで、1回分飲まれてダメならあきらめもつく。
なんて思ってたら1G連。こりゃ幸先がいい。
この時点で20時。後輩が3箱出してる。
まあ、2箱も出ればいっかくらいで思っていたのだが閉店の23時まで一度も止まらずゾーンから抜けずで、万枚出した。
後輩の分と合わせると15000枚前後出てたんじゃないだろうか。

これが番長で初めてにして最後の万枚となった。
5号機は万枚はちょっと無理っぽいらしい。そうか、これで最後の万枚になるのかもしれないな。。。と思った

4号機の撤去も終わりスロットは5号機時代に入った。

昔ほどの熱気がなく、パチンコに客が流れる時代になった。

GARO。
今の時代でも新台が出ると客が並ぶ。
初代はその爆裂性能で大人気となった。

そして花の慶次。
どう見ても世代的には僕の世代をターゲットにしてる。
キセルが出てくると悶絶する。

これらはかかりにくく、それでも確変に入ると止まらなくなる、大ヤマトの進化版といえばいいだろうか。
このころはフルスペックの爆裂パチンコ機がパチンコ店の中心だった。

そのころのスロットは人気の凋落っぷりがひどい時代。

人気のあった機種でいえばマジハロか。特に何があるわけでもないAタイプ。
5号機は4号機の爆裂をすべて抑え込まれていて、時速万枚なんてありえない時代になった。

基本的にAタイプ。
せいぜい機能で付いていてRTでメダル持ちがちょっと良くなるタイプ。
1日のBIG20回で、5万勝てればよく勝った方というのが5号機の初期だ。

万枚なんてありえない。1万円勝てばよく勝った方という時代だ。

僕はそんな面白くないスロットもあまり打たなくなり、だからって、爆裂フルスペック機も相性が良くないのもあって確変も引けずであまりやらなかった。
甘デジをよく打っていた。

甘デジは、出始めたころから好きでよく打ってた。

当時はデジハネとかハネデジとかとも言われていた。

特に好んで打ってたのはチョロQ。
一般的な確変図柄的な図柄で当たると、100Gの時短がついて、それ以外は20Gだったかの時短。
元々1/99という大当たり確率だから、時短があろうがなかろうが調子が置ければぽんぽこ当たる。
フィーバーチャッカ―は4Rなので、せいぜい受け皿一杯程度しか出ないがタイミングが合えば10連荘で2箱とかあっという間に出た。
あまりお金を使わなくて済むので好んで打ってた。

そして、その集大成的なのが、

激からスペックだったエヴァの甘デジバージョン。
演出は全部知ってたので、その上での甘デジはたまらなかった。
この台で7万円出したことがある。
彼女と二人で並んで10万ほど勝ったことがある。

甘デジなのに。だ。
甘デジは粘れば粘るだけ勝てた。
こんな時にスロットなんてやってらんないわけだ。

そんなときに、獣王並みのスペックの5号機が登場したとうわさになった台が登場した。

たしか5号機になって、ボーナスフラグのストックが禁止されたんではなかったかと思う。
また、大量獲得モデルは禁止されたが、ATやRTは禁止はされていなかったが事実上、獣王のような純増10枚みたいな機種は作れなくなった。
なので、ART搭載マシンがあったとしても純増は3枚とか、当時だとせいぜいそんなところだった。
そんな時に、まずエヴァンゲリオン2代目に搭載されていたARTが面白かった。ARTに当選すると次のボーナスまでARTのままで、純増1.1枚だった。
ほとんど増えないのだが減らない。
だから、ハマってもなかったことになるARTだ。結構打ち込んだものだ。だがなかなかARTに入らないのだ。

今回紹介したジアマゾンロードは、まったく人気も出なかったし、結局けっこうあっという間に撤去されてしまったが、この先の5号機開発のヒントとなる台だった。
まず、見た目上777出そろうボーナスっぽいものは実はARTで、ART1に当選するとボーナス図柄がそろって一般的なボーナス程度の出玉が期待できる。
これはARTだから、ボーナスではない。サブ基板で調整しているものなのだ。
で、実はボーナスではないので、ストックしても大丈夫ということになる。
だから連荘する。

それプラス、この時代でいう一般的なART(ART2)も存在していて、ボーナス間を補完もしてくれる。

だから見た目のA400タイプのART機能付きのマシンに見えるのだが、実際はボーナスがなく(厳密には確かREGはボーナスだった気がする)、ARTが主体で連荘性能を持つものとなっている。

この機種自体はまったく人気が出なかったと思うが、その先の5号機開発のヒントとなる台となった。

パチスロ青春日記

パチスロ青春日記Vol.1~2号機編~
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Tホール。
Tホールに行くと店長が近寄ってくる。
おお来たのか~今日も打ってきや~と、景気の良い言葉をかけてくれる。

パチスロ青春日記Vol.2~モーニング編~
パチスロ青春日記Vol.2~モーニング編~

Tホール
当時は世のパチンコ屋さんは10時開店が普通だった。
ほとんどどの店も10時に開店。一斉にマイクアピール
【いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。はい。朝一フィーバー●●番台!おめでとうございます!モーニング無制限GETです】
といったような派手なマイクアピールがどんな大型店でも当然のようにやられていた時代。

パチスロ青春日記Vol.3~4号機冬の時代編~
パチスロ青春日記Vol.3~4号機冬の時代編~

スーパープラネットを打ち込みまくっていた僕。
たまに庭にしていない店に行ってもまずはスープラがあるかどうかを確認する日々だったが、スープラも時代とともに古くなってきて、設置台数も少なくなりつつあった。

パチスロ青春日記Vol.4~新装開店編~
パチスロ青春日記Vol.4~新装開店編~

パチスロのほとんどが4号機に移り変わってきた94年。
3号機で生き残っているとしたらスープラがほとんどで裏モノ化した機種はほとんど消えていた。
それでもたまにガッツリと裏モノ3号機を入れて営業していて、警察の検査が入って1か月の営業停止処分をくらうお店なんて言うのも結構あった時代だ。

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