スーパープラネットを打ち込みまくっていた僕。
たまに庭にしていない店に行ってもまずはスープラがあるかどうかを確認する日々だったが、スープラも時代とともに古くなってきて、設置台数も少なくなりつつあった。
3号機時代も真っただ中。
ほとんどがノーマル機の時代に、突如として裏モノが出回り始めた。
これはパチンコ・パチスロではよくあること。
ルールの穴を突いて合法的な爆裂機を作るか裏モノが出回るのが世の常。
パチンコについては、合法のフィーバー連荘機が時代を席巻している時代。
フィーバークイーンやキング、麻雀物語や綱取り物語など平和の物語シリーズが我が物顔でどの店にも入っていた。
基本的にはフィーバー後の保留4回転でまたフィーバーを出すいわゆるダブル・トリプルフィーバーとなる連荘機が中心の時代に、突如として現れたのがブラボーキングダム。
この機種は、平和の物語シリーズとは別の、ブラボーシリーズという機種で、当時は液晶は物語シリーズでドットがブラボーシリーズみたいな分け方だった気がする。
綱取り物語はブラボーキングダムの翌年にリリースされているので、おそらく数珠連といわれる、保留玉で即当選ではないが、50~100回転居ない程度で当選するずるずると続く連荘機みたいな台で最初にピックアップされた台だと記憶している。
仕組みとしてはモードが4つだか存在してフィーバー後は必ず天国モードから始まって、保留玉が4個になったらモード抽選になるという仕組み。
なににせよ、フィーバー後は必ずいいモードにいるので、うまくいけば連荘しまくる機種だった。
私の友人が根城にしていたBという店舗にはこのブラボーキングダムが大量に入っていた。
その友人は1ヵ月で100万近く勝ったということでたまに一緒に行っては自分は惨敗して帰るという日が続いたものだ。
なんでお前は勝てるんだ?と一度聞いたことがある。
その時の答えがどうにも納得いかなかった(当時は。)
【周りを見て一番廻ってない台に座ると勝てるんだよ】
と、全くもって納得がいかない。
しかし、今になって思えば意識的に攻略していたわけではないんだろうが、この台は保留が2つ点灯したら手を放す。これだけで天国モードが維持され数珠連しまくるのだ。
当時出たばかりのころはまだ誰も気づいていないのだが、当人は感覚的に、回らない台に座るとかかれば連荘するというのを本能的にかぎ取っていたようで、回らない台→保留がつきにくい→比較的連荘する
といういいループに入っていて1ヵ月で100万の勝ちだ。
その後、この攻略法が発覚し基盤が交換されてからは、その友人もまったく勝てなくなった。
スロットの世界はちょうどそのころから新要件機の4号機が入り始めたころだった。
友人行きつけのBは、比較的新しい店舗で3号機を導入していたが、いまいち目玉になるような機種がおらず、スロットコーナーは閑散としていた。
そんなこともあり4号機第1号発表となったチェリーバーを導入していた。
カジノのスロットルメーカーのエレクトロコイン社が作った日本法人のECJ(エレクトロ・コイン・ジャパン)が発表したチェリーバー
新要件機の要件決定とともに第1号機として登場したことで当時は有名だった。筐体を見てもどう見てもユニバーサル系だったのだが、当時のユニバは、世界全滅打法とコンチの4枚掛け打法で業界の嫌われ者と化していたので、新しいメーカーを作って4号機での復権を狙ったものだろう。
4号機の第1号機ということもあって当時は結構な店舗に入っていた気がする。
しかし、私の住む田舎では新要件機が入ってくるのはもうちょっと先で、当時はすごく新しいことでB店のスロットコーナーは辞める人待ちの行列ができていた。
しかし、行列の割には全然出ていない。というかスペック的に出ることがなさそうなスペックだった。
新要件の4号機では、必須役になったリプレイ役というのが登場した。今は当たり前になってしまったが、当時はリプレイ役という、プラスマイナス0枚の役というのが違和感がありまくりで、リプレイが嫌でスロットをやめたという人が結構出たのも記憶に新しい。
チェリーバーについてはシングルボーナスの集中役がついており、リプレイ役が付加されたコンチ3のような感じに見えた。それもあって人気になったのだ。
リプレイ分、コイン持ちが良くなるはずだから、それでコンチ3ならすごいことになるんじゃない?と。
しかし、もちろん基盤が同じわけがなく、そんなにうまくいかない。シングルの集中はコンチ3より入りやすくなったが、JACハズレも結構あるのでコンチ3ほどメダルは増えないし、BIG当選でパンクする(コンチ3は裏モノでパンクしないスーパーコンチラッシュの裏モノが大流行したためパンクしないことが当然になっていた)ので、ラッシュはあくまでおまけのようなものだった。5号機時代のARTのようなもので、今ほど確立されていない時代だったので中途半端な機能程度にしか見られていなかった。
インパクトほどゲーム性には波が無くマイルドだったことで一気に名声を落とし、私の住む田舎にも4号機の時代が訪れたときにはもうどの店舗もチェリーバーを入れようとはしなかった。
そんなときに、彗星のごとく、いや、土星に入れ替わるように入っていたのがカエルだった。パルサーだ。
パルサーもスーパープラネットも、実は3号機より前からある機種で、スーパープラネットの前身はプラネット2やプラネットVという1.5号機だった。1号機時代にもプラネットXXという台を出している。
2号機にプラネットは無く、その代わりに銀河系スロットということで、アストロライナーという台があり、1.5号機のプラネットが入っていた島にアストロライナーが入り、その後3号機時代になってアストロライナーの半分をスープラに変え、徐々にアストロライナーからスープラに変わったものだ。
また、大体そのような店舗は1シマ2列のうち1列は山佐の銀河系で、もう1列は山佐のカエルが入っていた。
比較的大型の店舗に行くと大体がスープラの背面はこのビッグパルサーだった。これは2号機だ。
4号機時代が到来するときには2号機は撤去しなければいけなくなっていて、大体このパルサーが撤去されニューパルサーという4号機が導入されることになる。
そうなると、4号機のパルサーと、3号機のスープラがいるシマが出来上がり、山佐の島は新台と1世代前の台ということになって、オールドファンも最新機種を打ちたい人もいた。
出た当初はそこまで騒がれていなかったが、4号機にしてスープラにとって代わる大量リーチ目機ということでじわじわと人気を伸ばし、4号機が終わり新要件の5号機になり、4号機の撤去期限が来るまで初期のパルサーを設置している店もたくさんあった。
4号機は1992年から2007年まであってかなり長い期間あったのだがその間ずっと存在した機種はおそらくこのパルサーだけだ。
ジャグラーも息は長いのだがジャグラーはジャグラーシリーズとして常に新作を出していた(といっても4号機時代はおそらく中身はほぼ同じだったと思われるが名前と筐体はどんどん新しくなっていっていた。)
4号機が始まったころ、チェリーバーから始まったわけだが、まだパルサーやジャグラーが人気が出ていない時代の話だ。
恐らくスロットの歴史の中でも最も落ち込んだ時代がこの4号機黎明期だリプレイの登場に、3号機の裏モノかが問題になって新要件が出たことであらゆるものに規制が入り、1日打っても数万円の負けか数万円の勝ちにしかならない時代。一方パチンコはアレキング、アレジンやエキサイトといったアレパチ(アレンジボール)が大流行。一撃20万なんてこともあった時代。
私も1度だけだがアレジンで朝一モーニングヒットから夕方まで止まらずの45連荘のあと1箱使って20連荘。当時生ごみを入れるポリバケツに1杯半ほど出したことがある。当時の換金率で(1玉2.5円ほどだったと思う)27万ほど勝ったことがある。おそらく今の換金率なら五十万ほどか。
また、そこまで荒くないにしても、スーパーバレリーナやソルジャーといった権利モノの連荘機もあった。
フィーバーもブラボーキングダムや綱取り物語、のちに攻略集団の梁山泊が完全攻略して日本全国行脚したことで有名な春一番など、パチンコはまさにブーム絶頂の時代。
パチンコ産業としても、95年の最大店舗数を迎える時期だった。
パチンコの方は21年現在まででおそらく一番ピークを迎えている時代で、ダービー物語事件(連荘性能を釘曲げで演出していたということで一斉摘発された。見せしめにあったと言われている。)以降CR機導入へと向かいつつある時代だがやはりそれを差し引いてもパチンコはピークの時代だ。
CR機導入前後は最も荒々しく、先述したアレジンやエキサイトはもう博打の機械といわんばかりの荒くれ性能だったし、フィーバー機についてはそこまでひどくなかったにしても発表される機種で連荘性能のない機種など皆無。ハネモノがどんどんなくなっていく時代でもあった。
新要件のCR機にしても、現近畿の保留玉連荘や数珠連は今後違法となる代わりにCR機(要はテレホンカードのようなカードを買ってそのカードで球を借りる方式の機種)は合法的に確率変動を認めるよということになり、初期のころはCR機は無法地帯と化していて、花満開がいい例だ。
保留玉連荘アリ、数珠連アリ、合法の確変アリのなんでもござれの機種で、本当に座れなかった。
その後も、ビッキーチャンス、後々はダイナマイトの登場などで大連荘機が続々登場して現金機の終焉が近づいていたがCR機で補完されている状態だった。
まだCR機登場以前の話なのでほんとに我が世の春のパチンコだった。
そんな中パチンコはさらにとんでもない機種を登場させる。
たぬ吉くんだ。
筐体の作りとしてはただのハネモノ、平台なのだが、ドットで示す図柄で大当たりRが決まる機種だ。
Vが止まると15Rなのだが、Vが止まるとその後3回、合計4回はVが止まることが決まっている。
当時の換金率でも約1万円の出玉が確定する。
玉の減りが緩やかな1発台の登場だ。
また、釘が良ければVに止まらなくても、(クローバーが2R、ダイヤがが3R、ハートが4R、スペードが5Rかなんかだったと思う)もじわじわ増えることもあって、長くコツコツ稼げる機種として大人気。
そして、このR抽選という仕組みが大流行してハネモノが大きく変わった時代だ。
ハネモノを一撃で大爆裂機に変えた代表格がこのゴリコップだろう。
77(もしくは33)がそろうとVゾーンに入りやすくなる。
そして、当選してしまうと、次は77からスタートでVゾーンに入りやすい。
ただし、Vゾーンに入らずはずすと次からはまたフィーバーのようにこの77ドットが回転する。
滅多に当たらないのだが当たってしまうと一気に出てしまうことから大人気になった。
また、フィーバーのように図柄がそろわないと当選しないのかというと、そうでもなく、まぐれで自力でV当選することもあって当選してしまえば次は77からスタートだったので、地力当選からの連荘もあった。
なにせパチンコは大爆裂機の時代だ。
そんな時代に、スロットは冬の時代を迎える。
まず3号機の終わりの方ではコンチネンタル2が3より後に発表された。
しかしながらCS-90の四枚掛け打法が出た後、対策ずみのコンチⅡは、いわゆるドがつくノーマル機で何の連荘性能もない。
3号機の終わりの方は基本的に裏モノ化している機種が中心だった。
ワイルドキャッツやセブンボンバーというスロットが91年に登場し、大爆裂機として登場した。始まると止まらないと有名だった。ワイルドキャッツ・セブンボンバーは当時は貯金機といわれ今でいうストック機だ。
フラグが立ってもすぐに揃えられず貯めたボーナスは何かのタイミングで開放に向かい連荘しながら開放していく。4号機後半のストック機の原型だった。
それ以外にもリノが90年に登場し、なぜか連荘する機種として名をはせ、どちらも攻略法も出てきており、そして、ほとんどの機種が裏モノ化しており、メーカーで対策がやりずらくなっていた。
そんなときにスペーススペクターという台が登場した。92年のことだ。
世はそろそろ3号機の基準では裏モノ化に歯止めが利かなくなってきていて新要件を出さないとお上に言い訳できない状況になりつつあった。(といいながらこのころはメーカー自身が裏モノ化するのを助長していたようにしか見えない。。。)
そんな中とどめを刺す一台になったと思われるのがこのスペーススペクター。
何種類の裏モノVerがあったのかわからないほどいろんなバージョンがあった。
有名なのは、REGフラグをストックして解放時にBIGになるバージョンが最も有名だと思われる。
そしてこのバージョンに通用したセット打法ボフセット攻略が発覚した。
セット打法にはクレジットを使うものが多かったのでクレジット機能をカットしていた店もあったがクレジット機能に慣れてしまったすろったーはカットされていると近づかないので、ホール側は対策ずみにしてクレジットを復活。しかし、様々な裏モノが出回っていた時期だったので、対策をすると次のセット打法が発覚するというそもそも機種を導入できないレベルの時代にまで発展。これにより3号機時代にとどめを刺したといえる。
そんな時代に登場した4号機は発表当時はがちがちの仕様で、どのメーカーも爆裂機を開発できない時代になった。
合法的な爆裂としてはシングルボーナスの集中役があったが当時はまだまだサブ基板などもない時代で、大体1万円程度の出玉でラッシュも終わる仕様のものばかり。
結果的にラッシュのためにボーナスの確率が悪くなった劣悪台が当初は多くて現在ピークを迎えているパチンコにユーザがシフトした時代だ。
かくゆう私もこの時代はスロットよりパチンコを打つ機会が多くなっていた時代だ。
また、あまり強烈な台は負けるときも強烈だったので比較的ノーマルなハネモノや、連荘機でも連荘性能より初当たりにに重点を置いたような緩い連荘機のフィーバーパワフルなどを好んで打っていた。
スロットはまだ生き残っていたスープラをたまに打つくらいになっていった。スープラも4号機の登場によって客がパチンコか4号機に流れるようになっていて、あまりまわされていない状態になり、昔のようなハイエナがきかなくなりつつあった。
4号機黎明期は本当に何も語ることがないほどの暗黒期だった。
パチスロ青春日記
Tホール
当時は世のパチンコ屋さんは10時開店が普通だった。
ほとんどどの店も10時に開店。一斉にマイクアピール
【いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。はい。朝一フィーバー●●番台!おめでとうございます!モーニング無制限GETです】
といったような派手なマイクアピールがどんな大型店でも当然のようにやられていた時代。
パチスロのほとんどが4号機に移り変わってきた94年。
3号機で生き残っているとしたらスープラがほとんどで裏モノ化した機種はほとんど消えていた。
それでもたまにガッツリと裏モノ3号機を入れて営業していて、警察の検査が入って1か月の営業停止処分をくらうお店なんて言うのも結構あった時代だ。
土星を好んで打っていた私にはカエルはちょっと違和感しかなかった。
4号機になって登場したニューパルサーはスーパープラネットと入れ替わりで導入される店舗が多かった。
Nホール。
行きつけだったTホールは閉店してしまい。店長は新装した本店のTホールの店長をしている。
たまに顔を出しては出ないイヴを打ってはたぬ吉くんに。