キンパルの登場でバラエティに富んだスロットラインナップとなっているパチスロ。
まさに我が世の春といった状態になってきていた。
サブ基板制御のない大花火もまだ現役で、レトロ台扱いで技術介入機のハナビやサンダー、バーサスなどを再設置する店も出てきた。
パチンコ店もパチンコの比率を落としてスロットコーナーを増やす店舗も出てきていた。
このころはよくある光景がスロットコーナーは人が歩く隙間もないほど人で一杯なのに、パチンココーナーはガラガラだ。
パチンコはもうちょっとあとで大爆裂機再登場を迎えるのだが今はまだその片鱗も見えない。
そんなときに登場した化け物がコンチ4といわれる機械だ。
獣王やサラ金は、万枚といわれたがコンチ4は2万枚がある機種だった。
1度だけ打ってAT連荘も経験したがなにせ早い。早いということは、ハマリも深いということだ。
1回のATで100回というのもあって、AT100なら一撃で1000枚以上だ。
そんなのが10連荘したらあっという間に万枚だ。
パチンコ運がまったくない友人が唯一パチンコ人生で出した万枚がこのコンチ4で6時間で25000枚だったそうだ。
私は一番多いので15000枚、吉宗で4時間だ。枚数だけなら完敗だ。そんな激荒マシンが登場した。アルゼの逆襲が始まったと思った。しかしながらあまりの荒すぎるスペックのためこの台の前に座るつもりなら10万でも足りないとも言われたもんだ。
そして、このコンチ4から1年後。アルゼはもっともっととんでもないマシンを出す。
そう。後にも先にもこの初代ミリオンゴッドを超える出玉性能を持つ台はないであろう。また今後も出ることはないだろうというまさにどこか違う世界まで行ってしまったような台だ。
GOD揃いというREG絵柄みたいな絵柄がそろうと、それだけでAT500G、10万円(5000枚)確定で、それプラス、全開放に当選していればストックしているAT全開放という話だった。
ATは、押し順ナビのことなので、そもそもAT自身はサブ基板で抽選しているので、要はやりたい放題だ。ストックを貯めまくっておいて滅多にかからないGODで全開放。
全開放になったらもう万枚みたいなそんな台だ。
100万円、200万円出たっていう話も聞くほどで、10万握りしめて行ってこれがなくなるか倍になって帰ってくるかみたいな勝負だとGOD打ちはよく言っていた。
何度かあそびで座ったことがあるが、ゲーム性は単調で、まずリプレイすら当たらない。子役なんて1000円で1回も引かない。普段は何も起きないのだ。
が、GODとは言わずGODゲームという要はAT(ほとんどは単発だがたまに連荘モードに入る)はたまに引いた。3万円に1回くらい。
全然ゲーム性がないので僕には10万円も突っ込めないと思って本当にたまに友達の横に座って1万入れる程度しかやらなかった。
同時期に登場したのがこれまた名機となるBINGOだ。
当選すると7図柄がそろうので一見Aタイプのように見えるがこの7はAT当選だ。
Cタイプといわれるボーナスがないタイプ(GODも同じ)になり、そう。2号機時代に子役しかないCタイプが1機種だけ存在していたと言っていたCタイプなのだ。
ボーナスがない代わりにサブ基板で制御しているATで出玉制御を行う機種なのだ。
ボーナスもない、一番緩いだろうCタイプが一番荒くれ性能の台になるとは。。。思いもしなかったものである。
このBINGOは、ATに当選すると777がドラム上でそろい、まず最低ラインとして33GのATに当選する。
そして、当選した時絶妙な間で『フォゥフォゥ』と、台が鳴き、33と表示されているデジタルが再度動き始めるとAT回数の変動に当選する。
BINGOの場合、動いたらまず最低で111G以上の当選が決まるので最初のデジタルは111となる。
そしてまた絶妙な間で『フォゥフォゥ』と鳴きながらデジタルが回転すれば222となる。
これを繰り返し、止まったところでATゲーム数が決まる。777なら777回(以上)のAT当選となる。
111以上で222~999であった場合、それは、222ゲームとは限らない。残り100Gを切って99Gになったときに、099と表示されたらそれは、1222Gの当選ということになり、099とは、残り1099Gという表示だった。
1粒で3度おいしいBINGOは、ホールを席巻し、検定取り消し撤去となったGODになり替わりBINGOが大量に導入された。
BINGOはもちろんこの大AT機のため、2万枚機であったのは間違いない。1000Gを引けば万枚確定だ。しかし、このBINGO、それだけではなく連荘性能もあったので大人気になった。
ふぉぅふぉぅはなかなか引けないし、引いてもせいぜい333っていうのがほとんど。777以上引けば連荘も合わせて万枚だかそれもそうなのだ。
一回引いたらどこまで続くかわからない大連荘で、フォゥフォゥで一撃万枚と、いろいろ具だくさんな機種だった。
僕はこの機種も打ち込んだというほど打ち込んではいないが何度かATも引いたし222くらいは引いたことがある。
しかし、AT機はあまり面白いと思えなくなっていた。AT当選までの道のりが深く険しすぎて、そんなにお金を投下できないなと思っていた。
キンパルは人気はあったがプロ志向の人間はあまり近寄らなくなっていた。
それは、ハイエナで食えるとわかってから店が設定を入れなくなったり、ストックを飛ばしたりするようになった。
ストック機の初期のころは、メイン基盤のボーナス当選確率が低く、放出モードになったときにストックきれを起こすことも結構あったのだ。
ハイエナの論理はストックがあることが前提なので論理が破たんし始めていたのだ。
やる台がなくて仕方なくBINGOに座れるか…というとなかなか座れるものではない。
獣王やサラ金にしたってGODやBINGOほどじゃないにしても荒くれ性能だ。ちょっと座る勇気がなかった。
次第にニューパルコーナーやレトロコーナー、大花火にまた寄り付き始めたころ、ニューパルの導入台数を超すとんでもないやつが現れた。
北斗の拳だ。
この後何度も後継機が登場しているが初代か2代目が一番面白いだろう。
Cタイプの代表格となったのがこの北斗だろう。
7やREGに見える北斗の拳マークは、あくまでマークでしかなく、ATに当選したら最初に777か北斗がそろう。
10ゲームのボーナスゲームと8ゲームのJACゲームがある、ボーナスゲーム付REGみたいなボーナスゲームがある台だ。
もちろん、サブ基板を使ってATが連荘するように作られており、これが秀逸だった。
また、このころはまだ、有名なキャラクターのコラボ台というのはそこまで多くはなく、有名な漫画北斗の拳をモチーフにしたのもHITの理由の一つだろう。
当時私ほどの世代が小さい時に読んでいた漫画なのだ。
なのでほとんどの客は自分と同じくらいの年代だったと思う。
GODやBINGOのように一撃万枚確定みたいなものはなかったがATへの突入契機は中段チェリーやスイカとわかりやすいレア役であったり、通常時のケンシロウの動作や演出などで現在のモードがわかったり、AT突入時のケンシロウが発するオーラの色でATの連荘率が読めたりと、示唆演出が多彩で1回転ごとにあれは天国だとか転落したとか楽しめた台だ。
荒いには荒いのだがGODのように何も起きずに1直線で10万負けるなんてことはあまりなく、ちょこちょこAT単発を引いては転落してを繰り返しながら負けるので、楽しめた。
この北斗の拳は20万台売ったと言われる初代ニューパルサーを超える。もう抜かれることがないと言われていた記録を優に超えて62万台の販売を記録したと言われている。
実は現在の歴代記録2位が北斗の拳SE(2代目北斗)で34万台だ。3位は残念ながら大都技研の押忍!番長で26万台ということでサミーが表彰台独占とはいかなかったが。
もう抜かれることがないだろうと言われた20万台をトリプルスコアで抜き去り、その2代目もパルサーを抜いて34万台、二つ合わせて約100万台だ。とんでもなさ過ぎる。
実はちょうどこのころは、全く違うエンターテイメント業界、ゲーム業界のパイオニアであるSEGAが、任天堂に惨敗続きで、横から入ってきたSONYのプレイステイション完膚なきまでに叩きのめされていた時期だ。
のちのち、SEGAはサミーに救ってもらうことになり今の名のセガ・サミーとなっていく。
じつは、ゲームソフトのパチスロゲームはSEGAやハドソンがサミーの機種のスロットゲームをよく作っていた。昔から仲のいい企業同士だったのかもしれない。
そんなサミーは、ダブルチャレンジやネコde小判、獣王、サラ金ときて、GODでアルゼにシェアを取られそうになってからの北斗の登場だ。完全に市場を制圧したような様相となった。
ちょうどそのころは、今は振り込め詐欺といわれているが、電話をかけてきて【ばあちゃんオレオレ。わかる?】と電話を掛けてくるオレオレ詐欺が流行していたころ。
パチンコ店ではそれをもじって、【オレオレサミー】なんていうイベントをやってはサミー系の機種に設定を入れたりしていた。
そして、このころからさらに射幸心をあおる機種が出始めてくるのだった。
パチスロ青春日記
Tホール
当時は世のパチンコ屋さんは10時開店が普通だった。
ほとんどどの店も10時に開店。一斉にマイクアピール
【いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。はい。朝一フィーバー●●番台!おめでとうございます!モーニング無制限GETです】
といったような派手なマイクアピールがどんな大型店でも当然のようにやられていた時代。
スーパープラネットを打ち込みまくっていた僕。
たまに庭にしていない店に行ってもまずはスープラがあるかどうかを確認する日々だったが、スープラも時代とともに古くなってきて、設置台数も少なくなりつつあった。
パチスロのほとんどが4号機に移り変わってきた94年。
3号機で生き残っているとしたらスープラがほとんどで裏モノ化した機種はほとんど消えていた。
それでもたまにガッツリと裏モノ3号機を入れて営業していて、警察の検査が入って1か月の営業停止処分をくらうお店なんて言うのも結構あった時代だ。
土星を好んで打っていた私にはカエルはちょっと違和感しかなかった。
4号機になって登場したニューパルサーはスーパープラネットと入れ替わりで導入される店舗が多かった。
Nホール。
行きつけだったTホールは閉店してしまい。店長は新装した本店のTホールの店長をしている。
たまに顔を出しては出ないイヴを打ってはたぬ吉くんに。