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【旧劇場版】エヴァンゲリオン劇場版<<Air/まごころを、君に>>を見直す

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シン・エヴァンゲリオン劇場版のために過去作を復習しております。

先般記事で、TV版の見直しを行いました。

続いて、TV版の延長(事実上の最終回、もう一つの最終回)である劇場版エヴァンゲリオン Air/まごころを、君にを、見直しました。

劇場版をみて、改めて思ったことは、Qに登場するミサトやリツコは、やはり、TV版~劇場版Airからの延長であるミサトとリツコだと思います。
というか、やはり、序と破、Qは、TV版~旧劇場版(その後つながる新劇場版序・破)の延長上の話であり、おそらく、Airで起きたサードインパクトの続きの世界であると考えます。
そうであると思う理由は以下に述べていきますが、続きであると考えたとき、ミサトやリツコ、Qに登場してきたアスカが語る、エヴァの呪縛や14年後というのは、旧劇場版で起きたサードインパクトから見て14年経過という設定だろうと考えます。
そして、登場してくるミサトとリツコがTV版のミサトとリツコなら、14年経過しているし、TV版のミサト(旧劇場版のミサト)は、シンジに対して、アスカを救いに行くことを要請し、エヴァに乗るように指示しているがサードインパクトを起こしてほしいとは思っていない。TV版も考えるならミサトとリツコはサードインパクトの発生を抑えたいと思っているはずです。
リツコは、直前にゲンドウとレイを射殺しようとしているシーンで返り討ちに合うわけだが、TV版のリツコもサードインパクトに対しては否定的だ。
新劇場版(序・破)に登場したミサトとリツコの場合、ゼルエルに対峙する初号機(シンジ)に向かって行きなさいと応援するそぶりがあり、リツコも世界の終わりがどうのこうのと、もうこの事象を受け入れるような大勢だ。
オマケに、シンジが起こしたサードインパクトは、発動直前に、カヲルが月からロンギヌスの槍を初号機に刺すことで止めている。(ここまでが破で語られているので間違いがない。)
その状態を見ていたミサトとリツコが、シンジに対してトリガーだからと、否定的にそして、怒りを持った感情で接するQは、違和感しかないわけだ。
しかし、このミサトとリツコ(おそらくアスカも)TV版(旧劇場版)のミサトとリツコなら、シンジを見て否定的になるのもうなずける。

Q登場のシンジは新旧どちらのシンジ?

Qに登場するシンジはどちらなのか?
実はこのシンジは新、旧どちらともとれるようにストーリーが展開しているように見えるが、このシンジは新劇場版のシンジであると考える
理由はいくつかあるが、まず一つは、ミサトとリツコがTV版のリツコで、シンジが新劇場版のシンジだったとした場合、ミサトがリツコに対して【碇シンジ君。。。で、あっているわよね?】と問うシーン、そしてリツコが歯の治療痕まで一致するサードチルドレンで間違いはないと回答。
そもそもサードチルドレンなんていう呼称は新劇場版ではほとんど登場していない気がするし、ミサトとリツコにしたら、新劇場版のシンジは自分たちの知るシンジではなく、まさに劇場で演じられているシンジのようにこの14年間眺めていたことだろう。(ここにシン・エヴァンゲリオンが劇中劇である可能性が出てくると思っています。)
回収した、自分たちの知る碇シンジとそっくりのこの子が自分たちの知るサードチルドレンと同じかどうか確認したというシーンだったとしたらいろいろうなずける。

これについては、旧劇場版のシンジであったとしても成り立つ。
旧劇場版のシンジであった場合、回収した初号機はTV版・旧劇場版の初号機を回収したということになり、回収した初号機かのコアからサルベージして復活させた個体がTV版のシンジで、ミサトやリツコにしてみたら、この個体は本当のシンジ君なの?という思いから発言があったと考えても差し支えはない。しかし、そうであった場合、TV版では一度初号機のコア内にLCLとなって魂だけが漂う状態になったシンジがサルベージして個体として復活した経験があるので、ちょっと矛盾が起きる。

そういったこともあるが、私はやはりQに登場するシンジ(おそらくシン・エヴァのシンジも)は新劇のシンジだと思っている。理由は後に述べる。

さて、旧劇場版のミサトとリツコは新劇場版のミサトとリツコとは違うものであると考えられるわけだが、では新劇に登場していた同じ顔をしたミサトとリツコは旧劇のミサトとリツコから見たら同じネルフの特務機関員だから、一緒にいるわけにはいかないし、旧劇のミサトであった場合、ある程度この世界の理(セカンド~サードインパクトを繰り返しているおかしな世界)が理解できたうえで存在していることになるので、新劇のミサトに逢おうとするわけがない。(会うわけにもいかなかったのではないかと思う)
こういうコトを踏まえ、旧劇場版の登場人物たちであったとしたらQの物語はずいぶん理解ができるのだ。
まず、旧劇のミサトやリツコは月にいると考えて差し支えはないかと思う。
これは、旧劇場版のAir/まごころを、君にを見てわかった。
シンジが人間(リリン)の魂が1つになることを拒絶し、巨大化したレイ(リリス)が首から折れていくシーンで血のようなものを吹き出すのだが、この血のようなものは人の魂と思われるのだが、その吹き出した血の一部が、月にかかるのだ。
この掛かった血のような赤いものは、新劇場版の序で月に一直線に描かれた赤い線だろう。この時点で旧劇場版とのつながりが示唆されていることになる。
あの血のようなものが人の魂であったとした場合、一部の魂が月に移住することになる。
その後どうなったのかはわからないが月に移住した状態になり、この14年間でこの世界の成り立ち、繰り返しの世界に入っていることが理解ができたうえで、ニアサードインパクトのあとに地球へ降りてきたとしたらいろいろうなずけてくる。そもそもニアサードインパクトってなんかおかしい言葉じゃないですか?実際の世界が破滅的な状態になっているので、サードインパクトで十分だと思うし、ニアって、考えてみたら【近い】っていう意味であって、サードインパクトが途中で止まったって意味じゃない。正規のサードインパクトに【近い】インパクトっていう意味がニアサードインパクトとしたら、ではニアがつかないサードはどうなの?って話で。
カヲルがこのニアサードインパクトをリリンがそういっていたといっているし、シンジに対してリリンがこういっているとかリリンがそうしたとかいっているところをみると、カヲルから見てシンジとリリンは別の可能性であることがうかがえる。そして、Qの最後でアスカがリリンの近づける場所に行こうと言っていることからも、ミサトやリツコたち、ヴンダーの搭乗員とアスカは同じ種族の人類ではないことがうかがえる、少なくともアスカはヴンダーのミサト・リツコとは可能性が違う。要は使徒が違う。ミサトたちがリリンと言われているのであれば、おそらく旧劇からの人物はリリンと言われていて、この最後のシーンのアスカは旧劇のアスカではなく新劇のアスカなのではないかと思う。レイはすでに別物の存在なので気にしないとして、シンジもアスカに引っ張られて防護服も着ずにいることを考えると、アスカと同じ人類と考えられる。てことは、アスカ・シンジと、ミサト・リツコは別の可能性同士の人類であり、シンジが新劇側のシンジなのであればミサト・リツコは旧劇、少なくともQの最後のシーンで出てきたアスカは新劇のアスカということになる(私は、Qではアスカは新旧の2人が登場していて、この最後のシーンだけ新劇の式波アスカに入れ替わっていて、それ以外のQは惣流アスカであると考えている。新劇アスカの眼帯は旧劇アスカに合わせて装着している擬装であると考えている。一旦シンジのプラグから出て再度帰ってきたアスカが直前のアスカより随分優しくなった気がしてならない。)

また、Qに登場するゲンドウと冬月も旧劇のゲンドウの可能性が高い。
理由は、どう見ても加齢しているし、Qのゲンドウはヴィレの動きに注視しているし(存在を知っているということ)、エヴァの設計思想が新劇場版のエヴァとは大きく違うっぽいことからも、新劇場版のニアサードインパクトはサードインパクトに近いインパクトではあるが、近いインパクトであって、そのサードインパクトとしては、新劇場版に登場した人類はシンジ以外残っていない、要は初めてシンジが拒否せず人の魂を一つにする世界を望んでしまった可能性がありそうだ。
だから、本当に登場する人物がヴィレメンバー(戦略自衛隊の服を着たスタッフっぽい人物の旧劇登場の人類リリンであると考えられる)と、ゲンドウ・冬月以外はシンジ、カヲル以外一切登場しない。
だから、序・破の世界のリリンである人類はシンジと、式波アスカ(アスカだけはまだわからない。。。)がいるかどうかと言ったところなのではないかと思う。

もう一つ、これは結構みんなが指摘していることだが、Qの冒頭のシーン、宇宙空間から降りて来る改2号機と8号機、いったいどこから来るのか?
地球から打ち上げたとしたら、打ち上げたときにネルフの4Aに襲われなかったのが不思議だ。そのあたりはさすがにアイディア段階で誰かが指摘してもおかしくないことだ。事ここに至ってそこは無理やりやっちゃいましたってことも無いだろう。冒頭、あれだけのシーンなのだからやはり襲われなかった論理的な意味があるはずだ。
なので、この冒頭のシーンは宇宙空間からの大気圏内への初飛来なら、納得できる。
私はこう考えています。

Q冒頭の改2号機は新劇場版のアスカ。
先遣隊として、先に大気圏突入。初号機を回収し何らかの方法で月にいるミサトに渡したら改2号機はそのまま地球へ降下。
セントラルドグマ近くに身をひそめ、第13号機によるフォースインパクト発動を食い止めるために待機。

旧劇場版のアスカは、ヴンダーとともに月で新劇の初号機コアユニットを搭載。コアユニット合計5つ搭載(エントリープラグが5本刺さっていることからもコアが5つあると想定)、MAGIベースの人工知能で操作可能な空中浮遊戦艦を完成させ、月から地球へ向けて発進できるパワーを得るという形。
だから、ヴンダー内でシンジと会話するアスカと、Qの最終盤でシンジと対峙するアスカは別人物という想定。

なぜなら、冒頭の初号機を回収するシーンでは、アスカの位置取りではどう考えてもその後、大気圏外へ離脱できたとは思えない。(マリはもしかしたら大気圏外に戻れたかもしれない。途中で離脱するので。)
また、ヴンダーは発進のシーンなどを見る限りでは地球よりも小さな天体であろうことが示唆されていて(地平線が丸かったり、世界中が真っ赤な世界になっている地球なのに地平線の向こうの海が青かったり)そうなるとその天体は月であると想定されるため、ヴンダーが初発進の際には月で初発進してどこに向かうのかというと地球に向かうということなのだろうと想像されます。
そうなると、最初の点火装置に点火する改2号機はどうやって月に戻ったのか?という疑問もわいてくるので、エヴァの世界感ならアスカは新旧2人いて、2人がうまく使い分けて登場していると考えるといろいろ納得できることも増えてくるのです。シンジと久々の対面は旧劇のアスカ、Qの最後にシンジの手を引っ張ってリリンが迎えに来れる場所を探すシーンは新劇のアスカ。
もう一つ、エヴァ搭乗の女性パイロット三人の名字を駆逐艦の命名ルールにそろえたかったなどと言っているが、それなりに重要な役どころのアスカの名字をあえて変えたいのか?と考えると微妙だ。
旧劇のエヴァでは主要キャストの女性は母という意味もあってか空母(葛城・赤木・惣流)の名前(レイは別格なので別。)という命名ルールだったと思うので、ここにきて、波の付く駆逐艦シリーズにそろえるのは意味がないとやれないことだろう。そうなると、惣流アスカと式波アスカの2人が存在するという考えが最終的には出てくることがあったから、名字を変えたのではないかと考えてしまう。

月よりの使者が旧劇のミサトたちでありヴィレだったとしたら、ようは、改2号機と8号機は地球初飛来ということになる。
流れとしては、Qの14年前、旧劇場版のミサトやリツコの魂は月へと吹き上げられ、そこで魂が個体に戻る。
空気とか重力とかはどうなっているのかわからないが、月面で14年間この世界の理を理解しながら壊れた2号機を改造して改2号機を作るが2号機改ではないのがポイントで、ギリシャ語だかヘブライ語でXというのが【カイ】と呼ぶそうで改2号機=XⅠⅠ号機=12号機(時計などで12時の位置にXⅠⅠと書いてあると思うがそういうことだ。)ということだそうだ。ゲンドウはヴィレ(月にいる旧劇のミサトたち)の行動を知っているようで、エヴァ改2号機を12号機として想定した場合、次が第13号機となる。
どうも、ゲンドウはすでに使徒ではなく、エヴァでインパクトを起こそうとしているのが透けてみえるようになってくる。
また、諸々の動きからゲンドウまでもが旧劇の人物とは思えないが旧劇の言動からある程度情報を引き継いでいるのか、冬月とゲンドウは頭が良すぎるので、死海文書などからここまで読み解いているのか、どちらかであると思われなににしてもこのような世界になっていることやカヲルや使徒の存在などもすでにすべて理解できている節がある。旧劇だけでは読み取れないがQを見るとそういう気がしてくる。

また、新劇場版でMrk.06を月で建造しているわけだが、そこでゲンドウがほかのエヴァとは建造方式が違うというようなことを言っていることと、旧劇場版に出てきたリリス(カヲルが気づくまでアダムと言われていた)のような使徒にMrk.06の兜のようなものをかぶせるだけのように見えることからも、Mrk.06はほかのエヴァとは根本が違うのだろう。
どちらかというと旧劇場版のエヴァのコンセプトに近いのではないだろうか。

旧劇場版のサードインパクトのシーンから、このようなことが想像できそうだ。

また、改めてみると、旧劇場版の伏線もたくさんおかしなところがある。
例えば最後のシーン、シンジがアスカの首を絞めて、アスカが気持ち悪いと呟きながら終わっていくのだが、よく見たらアスカは左目に包帯を巻いている。
これはいつ誰が巻いたのか?
劇場版では、アスカは、量産型エヴァに食われるようなシーンで、失神というか、動きが取れなくなり、カラスが猫の死体を突ついているがのごときシーンを目の当たりにしたシンジが激高してサードインパクトへと向かうわけで、その後はリリンたる人間はLCL化していくわけだから、アスカに包帯を巻いている暇など、誰にもどこにもないはずだ。
けど、最後のシーンでは、包帯を巻いている、というか、いたるところの怪我がケアされていることからも、あのシーン自身がサードインパクト直後の現実ではないだろう。
シンジの夢想か、アスカの意識が戻るであろう数日~数週間後のシーンのはずだ。
私は夢想の可能性が結構高いと思っている。

Qになると、シンジはアスカがいること2号機がいることを確認してホッとした感じだが、TV版(旧劇場版)のアスカは最後の方はもうめちゃくちゃな状態で、使徒に心を犯され廃人のようになってしまっていて意識も無い。(劇場版で意識のないアスカと対峙して、わいせつ行為を働くシンジが描かれている)
その後、安全のため意識がないままに2号機に搭乗し射出されたエヴァ2号機の中で意識を戻し覚醒してしまうのだが、シンジがつぎにアスカを見るのはそのアスカが量産型エヴァにぼこぼこにやられて内臓のようなものが飛び出している状態だ。
旧劇場版のシンジからしてみると、アスカはもう意識がなくて廃人、量産型エヴァでのやられ方からして死も覚悟するような状態だったはず。
そんなアスカとエヴァが普通に活動しているのを見ているにしては感動が少ないように見える。
新劇場版のシンジなら、アスカが初号機にプラグごとつぶされ意識がないことは知っているが、一命はとりとめていることを知っているわけで、アスカがエヴァに搭乗している姿を見て、意識が戻ったんだくらいの喜びなら、納得ができる。

レイに関してはどちらともとれるのだが、新劇場版のシンジであればニアサードインパクト時に自分で使徒の中からレイを引っ張り上げたと思っているから、助けたと思っているという設定だろう。
ミサトやリツコの返事もレイはもういないというのも実はどちらでも行けるのだ。
旧劇場版ではそもそも例は最後の方はどこに行ったか分からない状態で、出てきたのが巨大なレイ。
旧劇場版のサードインパクトが途中で終わったことがミサトやリツコが理解できていたとしても、レイはどこに行ったのかわからない状態だからレイはもういないというだろう。レイからは新旧どちらかは理解ができないのだ。

旧劇場版を観て改めてわかったことは各キャストの思考が、新劇場版とずれていて、新劇場版で言えばQでシンクロしそうなところがたくさんあるということだ。
まとめると

  • 新劇ミサトはサードインパクト発動に対してはシンジが起こすことに対しては好意的。
    • かたや、旧劇のミサトはアスカを救いに行けとシンジを応援するが、サードインパクトは起こしてほしいと思っていない。
  • サードインパクトがMrk.06にて途中で止められることまでミサト・リツコは肉眼で確認しているのに、シンジがトリガーでありこのめちゃくちゃな世界を作った張本人だと断定するのは少しおかしい
    • 旧劇のミサトなら、旧劇のサードインパクトを起こしたのはシンジの怒りであると考えるので、シンジに対して恨みのようなものを抱えてもおかしくないだろう。
  • Qのアスカの容姿はどう見ても、旧劇場版で量産型エヴァに貫かれたことによる左目の失明痕としか思えない。ガムテで補修されたプラグスーツ自身は旧劇からのデザイン(新劇も同じだから何とも言えない)。
    • 胸に書いてある02というマークの0に斜線がない。(旧劇は基本的に斜線がないがたまに斜線があるときもあってあれに意味があるのかどうかも不明だが。。。)
  • 旧劇のラスト、リリスレイ(巨大なレイのようなリリス)が、シンジがサードインパクトを拒否した時に首が折れて血のようなものが吹き出し月にかかるが、かかり方が新劇場版に登場する月と同じに見える
    • イコール新劇場版は旧劇場版のあとということでは?

エヴァンゲリオンの世界感とは(私の感想のまとめ)

TV版(セカンドインパクトから14年後の世界をテレビアニメ化したことになっている。)
↓(TV版最終回。大批判が起きるが、あの最終回もサードインパクトの発生次第によっては一つの最適解なのかもしれないと思い始めています。)
旧劇場版(Air/まごころを、君に)【サードインパクト(この前の過去、今までも同じような、セカンドインパクト→サードインパクトの繰り返しの世界)】
↓(旧劇で噴き出た血(おそらく人類の魂)の一部が月に付くので、その魂たちは月へ移住というのが私の考え。ミサトやリツコは月でサルベージされ個体に戻るが、ここから14年間月から地球を眺めているイメージ。)
新劇場版序【TV版とほぼ同じような似た世界の繰り返し】(新劇セカンドインパクトから14年後、しかし、ゲンドウが少しずつ違う世界を作っているため少しずつ違っていく)

新劇場版破【似た世界から徐々にずれた世界へ】【前回と少し違うサードインパクト(ニア・サードインパクト)】(ここにきてずいぶん違ってきて、いよいよ繰り返しの世界ではなくなってきている状態。)
↓(破の最後でカヲルがシンジが起こしたサードインパクトを止めるわけだが、今度こそ幸せにしてあげると誓ったカヲルがシンジに槍を刺して止めるのもおかしいし、カヲルが言う今度というのは以前があるわけで、以前とは旧劇場版のことだろう。この時点で旧劇と新劇につながりがあることを示唆している。)
新劇場版Q【旧劇場版から14年後の世界へ。人類が初めて踏み込む新しい世界という設定では?】(ゲンドウがユイの魂をエヴァに取り込まれない世界を目指し作って起こしたニアサードインパクトによって、繰り返しが起きない続きとなる新しい世界へと向かい、フォースインパクトの発動によって、次におきる繰り返しの世界ではユイがエヴァに取り込まれないことを想定しているのではないかと予測しています。この目論見がゼーレの目論見には無いため、ゼーレに完全に従うわけでもないのにサードインパクトは起こそうとするゲンドウという映像が作れると思っています。また、ゼーレはこれでよいというわけですが、サードインパクトのあとセカンドに戻るわけではないからゼーレはこれでよいと思ったわけです。)
→ゼーレは、今までこの世界はこの14年間について、死海文書の契約により大体同じことを繰り返し(セカンドインパクト→サードインパクト:||やり直し→セカンドインパクト→サードインパクト・・・)先に進めていないことに気づき、この先の世界へとつなげるために自らの手でサードインパクトを起こし、そのインパクトが半端に発動させることで世界が終わらない(繰り返しにならない)ようにしようとしている、これが人類補完計画なのかな?と、予測してみた。

シン・エヴァンゲリオン【上記のような繰り返しの世界であることがミサトあたりから発言があり、シンジもそれに気づき、ともに戦うのではないかと予測。これが劇中劇とシンジが気づくというストーリー展開が予測されているが、劇中劇というより、劇のように何度も同じところ(セカンド~サードインパクト)を繰り返しているこの世界に気づくシンジという方がしっくりくる気がします。】

Qでなぜシンジが目覚めるのかというと、ヴィレは新劇場版のシンジの意識回復をしたかったのではなく、新劇場版エヴァ初号機のコアユニットが欲しかったにすぎず、おそらくTV版の時のようにLCL化してしまい魂だけが漂っている初号機コアユニットではダメだから、TV版の時のノウハウを生かしコアユニットからシンジをサルベージして出てきた個体なのだろう。
だから、意識回復させているにもかかわらずDDSチョーカーで縛りを付けるという行動に至ったのではないか。また、対使徒用のチョーカーであることを語っているがそのことからも、Qのシンジがミサトやリツコとは別の可能性の使徒であることが語られており、ここでもミサト・リツコと、シンジは別の可能性(使徒)同士であることがうかがえる。

そして、使徒と人類ですが、これはTV版の最初の方から語られているのですが、使徒は人類の別の可能性であるわけで、塩基配列などはほとんど人類と同じであることが語られています。
ただ、可能性が違うため、使徒と分類されパターン青なのです。
逆に言えば別の可能性が人類であることもあるわけで、サードインパクトが起きて次の繰り返しのセカンドインパクトを起こす人類は、前の世界で人類だった同じ使徒リリンとは限りません。リリンはアダムとリリスから生まれることになっていますから、アダムたる使徒とリリスタル使徒が違えば、産まれるリリンも違う種別のリリンとなるわけです。
だから、TV版の際の人類はアダムとリリスの子リリンが人類でした。しかし、サードインパクトが起きたときにエヴァ初号機がアダムで大きなレイの姿をした、レイが取り込まれたリリスがリリスとして次の世界に向かうのなら、そのアダムとリリスから生まれたリリンが人類だったとしても、TV版のリリンと新劇場版のリリンは別のリリンということになる可能性が高いわけです。(これをゼーレとゲンドウややろうとしていると考えています。ゼーレとゲンドウのアダムとリリスのにしようとしているエヴァが違う(ゼーレはシンジではなくカヲルでサードを起こしたいがゲンドウはユイをエヴァから離したい目的からシンジをトリガーにしたい))
Qで、カヲルが第一使徒になるはずだった自分が第13使徒に落とされたといっていますが、これはサードインパクトのトリガーとなった使徒が次の繰り返しの世界ではアダムとなる予定だったカヲルの魂は新劇場版Qの中で第13番目の使徒とされ、次の世界の使徒としてはシンジを選ぼうとしているゲンドウの目論見がわかり、自分が13番目の使徒として死んでしまえばフォースインパクトを止められると考えDDSチョーカーを発動させるが、途中まで開いてしまったガフの扉はもう閉じられず、最後はマリがカヲルとシンジのプラグをエヴァ第13号機から強制射出することで発動を食い止めます。
この一連のシーンからも、使徒と世界は繰り返していることを示唆していると考えます。

そして最後に、ロンギヌスの槍。
新劇Qでは、カヲルはロンギヌシの槍とカシウスの槍の2本を持ちかえれば世界を修復できると言うようなことをシンジに説明します。
まず、持ち帰るってどこに?って話で、現状はセントラルドグマ深層部とはいえ地球の地下です。
地下と言ってもすでにニアサードでぼっこりと穴が開いていてネルフ本部当たりの地下では空が見える状態です。
そこに持ち帰るといってるにしてはずいぶん浅い話です。
なので、持ち帰る場所はいったいどこなのか?これは、月なのではないかと予測しています。もしくは黒い月と言われるところか。

もう一つ、カヲルは途中で気づきます。この2本の槍は同じ形状をしているから対の槍ではないことに気づきます。
おかしいのがこの槍がロンギヌスの槍だったとして、なぜかQの世界ではそのロンギヌシの槍が2本あります。
一体どこからもう1本来たのでしょうか。
私は1本は新劇場版用に登場した槍でもう1本は旧劇場版に登場した槍だと思っています。
旧劇場版の槍はサードインパクトが起きる際に、エヴァンゲリヲン初号機と同化したわけですが、その後巨大なレイの中に取り込まれ、シンジがサードインパクトを拒否した時には初号機だけが巨大レイから再度出てきます。
槍はどこに行ったか不明です。
ということは宇宙空間で漂っている可能性が大いにあり、それをどうにかして月にもっていって保管していたとしたら、ロンギヌスの槍は2本存在することになります。
そうしないと、同じ槍が2本にならないのですよね。サードインパクトのカギを握る槍のようなので、工場で量産できるようなものではないはずですから。

そして、ヱヴァンゲリヲン新劇場版【Q】というタイトルだ。
まず、新劇場版、序・破・Qとヱヴァンゲリヲンだったのだが、次の新作であるエヴァはシン・エヴァンゲリオン劇場版となった。
不明なのはQと、昔の名前であったエヴァンゲリオンだ。
まずQだが、本来は序・破と来たら急とくるのが一般的であり、当初は急で作るような発表があったのに、破のあとの予告で次はQになるといわれた。
これは諸説あるがその諸説すべてをかなえている可能性はある。
まずは序・破のつづきの急は破のあとのQの予告編。あれが急の本編でその後の世界がQであるという説。
これもありそうだ。
なにせ、Qの予告で流れたシーンは実は本編では一切登場してこない。8号機に至っては形も違うし、Mrk.08じゃないし。
急が実は14年あってQへとつながっているという可能性も0ではない。

つぎに私が気づいたのはあえてアルファベットのQにしたのはまずみんなが言っているQuestion(クエスチョン)を含んだ意味合いとして使われたということだ。
序・破と違ってまったくTV版にはなかった部分(サードインパクトのあとの世界)でもあるし、ミステリアスで意味が不明すぎる。だからクエスチョンを見た人に与えたという意味あいが含まれているのは間違いないだろう。
あともう一つ、感じにできなかった理由だ。急であれば確実に序・破のつづきと目されるのでそういう目で100%見るが、見てもいいのだが、私が考えるようなつながりのある世界であったばあい、Qの物語の中心は旧劇場版とのつながりが深い。だから 急ではなく【旧】だった可能性があるのではないかと思っている。複雑にミックスされているので明確に旧とするわけにもいかないわけでQuestionを残す意味もあってQになったのではないかと思っている。

つぎに名前だ。
映画のタイトルだから、続編なら同じタイトルにしないとわからなくなってしまうだろう。
新劇場版三作がヱヴァンゲリヲン新劇場版というタイトルだったのに、ここにきて最後のタイトルはシン・エヴァンゲリオン劇場版て。
難しいからシンプルにしたっていうのなら、エヴァンゲリオン新劇場版だっていいはずだし、シン・エヴァンゲリオン新劇場版でもいい。しかもなんで最後だけ???
いろいろと、すべてがおかしいのだ。
私はこれはエヴァの設計思想に基づいていることであり、序・破に登場してきたエヴァと、TV版のエヴァは違うということを明確にしていて、それは旧劇エヴァと新劇エヴァの構造がそもそも違うということであり、Mrk.06が月で作られていることを考えると、月は旧劇のエリア、地球は新劇のエリアでエヴァンゲリオンの設計思想が違うということになるのではないだろうか。
シン・エヴァンゲリオンは、新作であり、真実が語られる映画であって、だから【シン】と、カタカナにすることでどちらも叶えるようにしている。
ストーリーの骨子は旧劇・TV版のエヴァンゲリオンの延長だから、(というかエヴァンゲリオンの世界は何も新しいものを作っておらず、ずっと続いている話であって、)最後の映画のタイトルはエヴァンゲリオンに戻した。そういうことではないかと思う。

というのが私の考えとなりました。

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