最近の研究で、今私たちが生きるこの世は、VR(ヴァーチャルリアリティ)なのではないかという学説があります。
この世はVR???
私たちの生きるこの世がVRだとする説が最近出るようになってきました。
コンピュータ技術の進歩により、この世の中が、常識では説明ができないような動きをすることがあることから、コンピュータ上のゲームのような盤上なのではないかと考える人が出てきたのです。
この世の始まりは電源ON???
例えば、ビッグバン。ビッグバン以前はこの世の中は【無】だったそうです。もう、想像もできませんw
この世がVRだと考えた場合、ビッグバンというのはコンピュータの電源ONの作業なんだそうです。まだそっちの方が理解できますよねw
宇宙の果ては・・・ディスク容量???
つぎに、宇宙の果ての話です。
いまだ決着がついていない宇宙の果ての話は、哲学者まで出てくるわけですが、宇宙の果てとはいったい何なのか?
ビッグバンで、この宇宙が始まってから、約138億年といわれています。だから、光の速度で宇宙が広がったと考えるのであれば今現在の宇宙の果ては138億光年のかなたであると。
そう定義づけしている方がいたり、宇宙に果てはなく、無限大に広がっているが、星などの物体は138億光年先までしかなく、どんどん膨張しているという説を唱える方もいます。
球体型で端も果ても中心も無いとする説や、果てがあるとしたら、その果ての端の先はなにがあるのか?これが説明できないから果てはないという逆説的な論理を唱える方もいます。
哲学的には、宇宙の果てとは人類の英知で見える限界が果てであり、今の人類が確認できるのは138億光年であると。だから、ビッグバンも138億年前だと唱える方がいるわけだが、もっと前かもしれないし、ビッグバンなどそもそもなかったのかもしれないと唱える方もいます。
難しすぎる。。。
これも、VRだと仮定すれば答えは簡単です。果てはある。それはディスク容量などの関係でこれより先が描けないところが果てになります。
この世界を作った創造主はディスクの追加によっていとも簡単に領域を増やせます。
なので、現状の果てはあるのですが、やろうと思えば増設することで無限に広げていくことはできます。
例えば、今現在の地球人類は、宇宙の果てまで旅をできる技術を持っていません。現状では太陽系すらも脱出できません。
なので、VRであった場合、太陽系さえ細かく描画しておけばいいわけで、太陽系外については何となく映っていればいいのです。たどり着けないのですから。
フォートナイト(FORTNITE)で、奥に見える山のイメージです。
近づいていけば起伏や崖やへこみ、木のはえかたなど、ディティールが見えますが、遠くにいるときは、あの方向に高い山があるということしかわかりませんよね。
同じようにこの世がVRだったとしたら、太陽系以外、今現状の地球人の見え方としては、あの方向に北極星があって・・あの方向にはカシオペア座・・・というのさえ描ければいいのです。近づくと、北極星の成分や大気の状態、水の有無や生命体の存在有無なども必要になりますが現状では地球人はたどり着けませんから描く必要はありません。見えてさえいればいいのです。
少し雑な説明ですが、そういうことなのです。手に取って触れるエリアは細かく作るけど、手に取って触ることができない、一定の距離が担保されているようなものはそういう作りにするのは、フォートナイトの山のように、私たち人類もやっていますよね。いわゆるハリボテです。
学芸会で使う城の絵を描いたパネル。見えるところはペイントして城のごとく描きますが裏はベニアむき出し。これも当然のことですよね。
次は光の速度と相対性理論・・・CPUの演算能力???
VRである説明をする際に必ず持ち上げられるのがこのお話です。
そもそも、現状では最も高速で移動できる物体は光であると言われています。
そして、アインシュタインが説明したのは移動速度が光に近づけば近づくほど、自身の時の進みが遅くなる(周りの時の進みが早く見える)という論理です。
この論理を使えばワープ(光に近い速度で移動できる宇宙船に乗っていた場合、光速に近い速度で移動している宇宙船内の時の進みが遅くなり、相対的に周りが早く動いたことになる)といわれる移動手段ができたり、ウラシマ効果などといわれるような、自身の時の進みは遅いわけなので、光速に近い移動をすれば、未来への時間旅行ができるなどと考えられています。(論理的には未来へ行くことができても、過去に戻ることはできませんね。)
しかし、これもよくわかりませんよね。
では、24時間で地球という天体を1周している我々の時の進みと、仮に月の上で済んでいる人は時の進みはやはり違うということなのでしょうかね。例えば生まれたときから地球人の赤ちゃんと、月でくらす赤ちゃんだと、50年後にどのくらい若さに違いがあるのでしょうか。将来月に住めるようになったらそんな議論も巻き起こりそうですね。月にいるほうが年が取りやすい!木星に住むと、寿命は平均200歳になるとか。
しかし、こちらもVRなら簡単に説明がつくそうです。
この世がVRであれば光の速度(最も早い物体の速度)というのは、CPUの処理能力に置き換えられるそうです。CPUMAXの速度で動く光に対して、その速度に近い速度で仮に移動できたとしたら、CPUにかかる負荷もMAXになります。そうなると、CPUは処理遅延を起こします。それにより、上記のようなウラシマ効果のようなものが出来上がってくるとのことです。
実際、VRゲームなどでたくさんの処理を複数でやるとガチャガチャして遅くなるっていう経験が無いですか?急にスロー再生みたいになった感じのやつですね。
あれは、外から見ているプレイヤーである我々にとっては遅い(一定時間で本来やれる動作が2倍遅くなっている)わけですが、仮に中の人にしたら、自分が遅くなったのではなくて、周りが早く動いているように見える。そういうお話です。
どっちにしてもわかりにくいですねwwww
スリット実験でVRを証明???
スリット実験というものがあります。
光の粒子を格子状の紙に当てたら光の粒子はどうなるのかという実験です。
光というのは物質があると影になって、要は光がとおらなくて、影を作りますよね。
だから、スリット状の紙などに光を当てればスリット状の影ができた光が映し出されるのが当然です。
それを粒子レベルで確認しても、勿論光の粒子はまっすぐ投影するべく動きます。
しかし、これを確認しない状態で(カメラや目視を辞めて)事後に粒子の広がりを確認すると、スリットを通った後にまっすぐ進まず拡散することがあるそうです。
これ自体は確認ができている事象であり、また、物理学的にはあり得ない動きなのだそうです。そもそも、見ているか見ていないかで粒子の進み方が変わるなんてことは物理の常識的にはあり得ないことなんだそうです。
確認している場合と確認していない場合で動きが変わる粒子・・・トリガーが確認であるというのは何とも特異ですね。
人間の行動同士ならアリ得ます。上司が見ているか見ていないかとか、先生が見ているか先生がいない自習時間か、これで人間の行動はもちろん変わります。先生や上司の行動も変わるでしょう。
しかし、意思が無いはずの粒子レベルの物体で、見ているかどうかで動きが変わるなどということはあってはならないことですよね。それが現実に確認できるのだそうです。
これが確認できたとき、神の意思か?とよく言われたのを覚えています。
これは、今の人類の科学・物理学では説明ができないことだそうです。
もし、この世がVRであれば簡単に説明がつくそうです。
プログラムのバグであったり、未確認部分は処理の効率化を図っている(描かない)からだということで説明がつきます。
皆さんも一度は思ったことが無いですか?
自分自身が今見えている範囲は良いんだけど、今見えていない範囲、例えば出勤しているときの自宅はどうなっているのかとか、もっと身近で言えば今見えている前は目視でわかるけど、見えていない後ろは今どうなっているのか?
真実など誰にもわかりませんよね。もしかしたら真っ暗で何もない空間で、自分が振り向いたら描いているのかもしれません。
今目の前にいる人でさえ、自分と接していない時は、存在しているのかどうなのかもわかりません。
実際ゲームの世界などはそうですよね。
テレビモニタに移っているものがすべてであり、モニタの向こうは今は描いていません。近づいていけば映る範囲を描画しています。
だから、確認があるかないかで、動作が違ってもおかしくないのだという説からVRを証明しようとしている人がたくさんいます。
またこれも良く論理実験で語られることです。
一匹のネズミがいるとして、そのネズミにシルクハットのような帽子をかぶせる。
さてこのネズミはどうなっているのか?
- 死んでいる
- 生きている
- そもそも見えない時はいない
なんとも難しい話ですね。誰も証明できないですからね。
そして、この次の行動、【シルクハットを取り除いて中を見ようとする】行動から世界線が分かれる。。。
いわゆるパラレルワールドです。なので、パラレルワールドは無限にあり、今のあなたはそのうちの一つの世界線を歩んでいるに過ぎなくて、選択一つ一つにパラレルワールドが無限にあるという話です。
これも、VRやゲームの類ならありそうな話ですよね。
セーブしておいてAの選択をしたけどうまくいかないから一回リセットしてセーブポイントからやり直しBを選択してみる。
この時点でこのゲーム内では2つの世界線があるわけです。
企業でもVR説を信じて企業活動へ反映させ始めた企業もあります。
電気自動車開発のテスラモータースの内部資料には、この世の中がVRだとした場合の市場動向を予測する資料があると言われています。
この世がVRだった場合とそうじゃなかった場合の市場動向に違いが出るのかどうかも私にはわかりませんが、実際にそうだと仮定して動いている方たちがいることに驚きを感じます。
運…神の要素…思ったことはありませんか?
すべてがそうだとは言いませんが、私はそう思うことがあります。
例えば、自分は確率通りにうまくいったものが一個も無いとか、逆に確率以上にいい方向に進みやすい方とか、いわゆる運の要素です。
宝くじで高額当選される方というのは再度高額当選しやすいなんて言うお話も聞きます。あんな低確率のものを2回も当てられる方がいるっていうだけで何かある種の運といいますか仕組まれた何かに見えます。
この世がVRだったとしたら、マトリックスのような世界?
そうなのです。
もし、この世がVRだった場合、私たちがいきるこの世の中はまさに映画マトリックスのような世界だということになります。
また、この世を作った創造主は、この世界を起動した別次元の人であることになり、創造主いわゆる神はいるということになります。
仮にVRだった場合、その上の次元に操作している人、要はプレイヤーがいるわけです。
VRの世界にいる私たちには知ることもできないのでしょうが、証明しようとしつつある進化を進めていることになります。
まさに今私たちの世界で起きようとしているAIの開発、シンギュラリティ(技術的特異点)に達しつつあるのが今の私たちの世の中なのかもしれません。
もし、私たちが、この問題を解明できる日が来た場合、創造主はどうするのでしょうかね。私だったら怖くなって、電源をOFFにしてしまうかもしれません。
さて、あなたはどう思いますか?