シン・エヴァンゲリオン劇場版を観てきました。
見たうえでタイトルに込められた意味を考えてみました。
エヴァンゲリオンとヱヴァンゲリヲン
もともと、新劇場版のタイトルはヱヴァンゲリヲンでした。
TV版ももともとはヱヴァンゲリヲンで行く予定だったのが、子どもには難しい文字だということでエヴァンゲリオンになった経緯があるそうです。
で、TV版、旧劇場版と、一区切りをつけ新しくエヴァを作る際に、総監督の庵野さんは、本当のエヴァを作るということで、本来のタイトルであるヱヴァンゲリヲンを採用したような話をどこかのメディアで見ました。
序・破・Qとそのタイトルで進んでいたのですがQ放映後の予告ですでにシン・エヴァンゲリオンと、新劇場版のヱヴァンゲリヲンではなくなることが告知された格好になりました。
これも憶測が憶測を呼ぶことになりました。
Qまでは新劇場版の話で、次に流れるシンエヴァは、TV版、旧劇場版の流れをくむんじゃないかなどとも言われていました。
映画を見て
そうですね。ヱヴァンゲリヲンではダメだったと思います。シン・エヴァンゲリオンというタイトルだったからこそだと思いました。
どういうことかというと、おそらくここに至るまでのエヴァンゲリオンには、いろんなものが含まれます。
TV版、旧劇場版、新劇場版、漫画、そしてパチンコやスロットなども含まれるのかもしれません。
それらすべてを含んだエヴァンゲリオンが1つのゴールを迎えたのです。
なぜなら、レイの魂とシンジが会話するシーンでレイは私はここでいいと言った場所が撮影スタジオのようなところになっています。そして、背景で、TV版のタイトルから旧劇場版、新劇場版のタイトルが流れるのですが、ようは、レイという女優は綾波レイを演じ続けてきていて、私はここでしか生きられない(要はエヴァという物語の世界の中でしか生きられない)とシンジに言うのだが、シンジはそれも飛び越えて先に進もうというような提案をし、例はそれを受け入れる。というシーンがある。
シンジが劇中劇であることに築くらしいという噂があったがおそらくこれを差すのだろう。
レイだけではなく、シンジやアスカ、マリやミサトもおなじですからね。
庵野監督に作られた設定の中でシンジ役、レイ役を演じているということなのか。
だから、早い話が、この映画はエヴァンゲリオンというすべてのものに決着をつけるように作られているのです。
ただ、作りを見ている限りでは【一つのゴール】なんだろうなと思っています。
今回はエヴァ史上初めてと言ってもいい、Goodエンドに近いエンディングだったと思っています。そして、TV版の最終回に最も近いエンディングだと思っています。
結局庵野監督はそれを描きたかったのだろうと回帰したというか。もちろんTV版の時のような視聴者置いてけぼりみたいにならないようにしつつです。
この最後がいいのか悪いのかこれも見る人にゆだねられていると思いました。
そしてまた、庵野監督はいたるところでエヴァはガンダムのようなプラットフォームになればいいと発言しており、ガンダムなら、初代ガンダムから、ゼータ、ダブルゼータ、そして逆襲のシャァからユニコーンとつながるけど、Gガンダムのようにガンダムプラットフォームではあるけどまったく源流の違うものも生み出されていて、そういうのをエヴァにも望むと。
ただ、今のままのエヴァでは重いから、新劇場版でプラットフォームになれるようにつなげたいような発言をよく見かけました。
しかし、やっぱりエヴァは庵野監督じゃないと描けないと思うけどな。。。とも思いましたけどw
Gエヴァ作りますっていう監督が出てくると思えませんw
:|┃の意味は?
この記号は音楽記号の一つで1回繰り返して止まるという記号です。
TV版・旧劇場版~(一回繰り返し)新劇場版~(一回繰り返したから止まる)
という意味にとれないことはないですね。
しかし、エヴァンゲリオンというのはタイトルに記号とかあえてカタカナになっているときは2つ以上の意味が込められていることが多いのです。
ということは、それ以外のとらえ方もできるということではないかと思います。
まずは、上記の通り、1回繰り返したから次はここで止まらず先に進むということでしょう。だから、シンジは14歳を2回やったので、次はここで繰り返し、戻るのではなく先に進むと。
なので、映画では14歳以上の大人になったシンジが最後登場します。
つぎに、この記号が初めて出てきたわけです。
だからここまでで1回目。
また元に戻ってやり直しなさいという記号とも取れます。
シンジ役の声優の緒方さんはこれを示唆し、警戒していましたw(パンフレットのインタビューによる)
それらを踏まえると、もう一度シンジがゲンドウに呼ばれてエヴァに初めて乗って・・・みたいなことを繰り返すことはないにしても、結局空白となっている14年間を描いた映画やアニメとか、セカンドインパクトからシンジがエヴァに搭乗するまでの14年間とかそういったものが描かれる可能性は0%ではないのかもしれませんね。
シン・エヴァンゲリオン
当映画のメインタイトルである【シン・エヴァンゲリオン】。
エヴァのタイトルで、カタカナや記号には複数の意味が含まれてくることが多いことを考えると、<<シン>>にも、深い意味がありそうだ。
映画を見た結果、
新であり、進であり、そして、神であり、信であり、真であったと思います。
親や清、深なんていう意味も含まれていそうですね。
あまりにも深く多い言葉をよくも間ぁ見つけてきたもんです。
新であり進。これがメインでしょう。
シン・エヴァを見てから、ヱヴァンゲリオン新劇場版:Qの、Qの意味を再度考えてみると、
急であり、Questionであり、旧でもあったのだろうと思います。すべてのエヴァに決着付けたのがシン・エヴァでしょうね。
3.0+1.0の意味
実はシン・エヴァンゲリオンって、4.0じゃなかったんですよね。
3.0+1.0ってことで、意味深でしたよね。
実はシン・エヴァは約2時間30分放映時間という結構長めの放映時間です。
前作Qは、逆に1時間30分程度と一般の映画より30分程度短い映画となっていました。
二つ合わせた平均は約2時間なので一般の映画と同じになります。
ということで、どうやらQで語られる30分をシン・エヴァに持ってきたようです。
一般的な映画はAパート、Bパート、Cパート、Dパートと、4分の構成なのですがシン・エヴァは
アバン1、アバン2、そしてA~Dパートと、6部構成。
アバン1と、アバン2こそ、Qで語られていたはずの30分なんでしょう。
この30分というのは、シンジとアヤナミレイ(仮称)を、アスカが引き連れ第三村に連れて行き、大人になったトウジやケンスケ委員長と再会するシーンです。
アスカがケンスケのことをケンケンと呼んでいるところくらいまでがアバンの部分でしょうか。
たしかに、これを10年近く前に見せられて、10年後にシン・エヴァでは、ちょっとダメだったかもしれませんねw
まあこれはこれで、納得ができる構成ですからいいのですが、
なんとか、2.0+1.0のアバンタイトルに当たるであろう空白の14年をぜひ映像化してほしいのですが。。。
シン・エヴァを見たらなおのこと破とQの間に当たるおそらく破のあとの予告の部分、あそこは明らかに空白の14年の部分なので、ぜひ底を映像化してほしい。。
加地の動き、ヴィレ結成、ヴンダー強奪、アスカが左目に使徒封印呪詛柱を埋める。。。そして、トウジとヒカリの恋愛模様や、ケンスケとアスカがどう交わっていったのかなど。。。
そして、リツコがどこまで読み切っていったのか、冬月がどう達観していくのか。。。
ここを見ないと終わった気になれませんぜ。。。